2010年10月21日発行  vol.14  
丸川さんからのメッセージ  

 

前回の『ケニアからの手紙』でもお知らせしていますが、『山』のパッケージで、旧来販売していた大粒の茶葉・BP1が復活しています。細かいほうの茶葉・PF1との詰め合わせ(BP1を10袋、PF1を10袋、計20袋/1箱)のご注文も承っておりますので、飲み方や、お好みにあわせて、大粒のBP1と小粒のPF1を飲み分けていただけるといいと思います。さて、今回は久しぶりに、何年か前のことを思い出しながら、当会が行ってきた交友および支援活動について、まとめてみました。読みづらいところがあるかもしれませんが、一読していただけたら幸いです。
 
◆茶葉収穫地域への寄付について
利益の一部を地元に還元するという意味で、工場に茶葉を供給するこの地域の小学校に、5万Kshずつを順番に寄付しています。この地域には19の公立小学校があり、当然ながら紅茶農家の子供たちが通っており、その地域の人たちのつきあいの、中心的役割をはたしていると言えます。その小学校での「寄付金贈呈式」で、教育の大切さを生徒たちに訴えると同時に、交友会から、また、日本の消費者からの要望・お願いとして、集まった両親(紅茶農家のみなさん)に「農薬不使用」をアピールしています。また、現在2巡目を終わりかけています。 


◆公立小学校への寄付以外の援助について
茶葉収穫地域は、ケニア国内では最貧地区ではなく、農村地帯としてはケニアでは豊かな地域にあたります。やはり貧しいのは雨の少ない乾燥地帯で、経済的に大きな困難を抱える地域がケニア国内にはまだまだたくさんあります。そういう地域に対しても、当会が支援したプロジェクトがいくつかあります。

 
①  奨学金支給
主にニャンダルア県で、96年から2006年まで優秀であるにもかかわらず、貧しいために高校へ進めない子供たち(294名)に対し、奨学金を支給しました。この奨学生のうち高校を卒業したのは277名、国立大学に進んだのは107名。ケニアの国立大学入学できるのは、年間に生まれる子供たち約80万人の中の1万人ほどですから、優秀でなければ合格できません。ケニアの優秀な人材育成支援に貢献しました。もうかなりが大学を卒業して、職についていますが、そのうち30人ほどは私のオフィスに、しばしば顔を出してくれます。私のオフィスのチーフ・アカウンタントもその1人で、働きながら公認会計士の資格を取得しました。またアルバイトの2人は、2006年卒業で大学在学中ですが、全国一斉の高校卒業資格試験の結果はトップランクAフラットでした。
また、先日は大学を卒業した後、治安の悪いソマリア国境の砂漠地帯でカトリックのNGOの下、公衆衛生の仕事をしていた女の子が、ニュージーランドの大学院で公衆衛生に関する修士コースに奨学金を得たからと、挨拶に来てくれました。やはり、うれしいですねー、こういう事は。身近にいる親しい奨学生に、他の者とも連絡をとるように言っていますので、一声かけると百数十人が集まりそうです。10年後、20年後には、ニャンダルア県で一大勢力をなすことになりそうです。将来、この中から腐敗フリーの国会議員、大臣が生まれるかもしれません。
この奨学金が何人かの人生を大きく変えたのは、確かだと思うのですが、それに反して、高校は出たけど貧しさは変わらず、賢い子供を持った親に変わっただけで、「じっと手を見る」という元奨学生も多いようです。
 
②  教科書支給
95年から98年にかけて、ニャンダルア県のオルジョロ/ンダラグア地区にある35の小学校を対象に、約2万冊の教科書とサッカーボール、バレーボール、ネット等のスポーツ用具を支給しました。現在は、もっぱらヨーロッパからの援助を受けて、小学校は無料化していますが、当時は小学校全体で1教科に2・3冊しか教科書がなく、授業は先生が黒板に教科書を書き写し、生徒はそれをノートに書き写すというものでした。初めは教科書だけだったのですが、たまたまサッカーボールを一緒に寄付したところ、それまで緊張していた子供たちが大喜びしたのを見て、後はサッカーボール、バレーボール等も寄付するようになりました。最後の頃は、近隣の学校対抗ボール・ゲームも行っていました。また、先生方や学校関係者に対するセミナーを何校かまとめて行ったり、ケニア国内の優秀な公立小学校への視察訪問なども行いました。一つはナイロビ市内のキベラ・スラム内にあるオリンピック・アカデミー、もう一つはウガンダ国境にあるムミアスで、県立高校のスクール・バスをハイヤーし、1泊と2泊の旅でした。

こうした教科書寄付、奨学金、上記の活動、更に下に書くランチ・プログラムのコーディネートには、ニャンダルア県教育省の中堅幹部を引き抜き、県庁所在地のニャフルル市にオフィスを開いて行いました。アシスタントには、奨学生・元奨学生をアルバイトに使いましたが、資金が尽きてしまい、07年4月に閉鎖いたしました。
 
③  水のプロジェクト
ケニア山麓のGithongo工場をずっと下り、25kmほども行くと、もう半乾燥地帯になってしまいます。5,200mのケニア山にはかなりの雨量がありますから、高いところでは急流の小川がいくつもあるのですが、標高1,300mぐらいまで下るとほぼすべてが、地下にもぐってしまいます。紅茶工場関係者の依頼を受けて、1996年から1997年にかけて、そのたびたび旱魃の被害を受けるメルー県北部キアバイバテ/ンチュラ地区で、地域住民(500世帯)とともに、5kmほど離れた山腹の泉から水を引く水道づくりを支援しました。泉から湧き出した水のせいで、泉の周りと下流部の1.5kmほどは湿地帯と深い森になっており、そこに幅30cm深さ50cmほどのトレンチ(溝)を堀り、直径10cmのパイプを敷設、村の背後にある高台(もちろん泉よりは低いところにあります)の12万リットルのメイン・タンクまでつなぎました。森の中で50cmの深さの溝を掘るのは、木の根が張っていますし、巨大な岩もうずもれていますから大変です。その前に、まずトレンチを掘る幅1.5mほどの小道を作らなければなりません。熱帯の木が密集した森の中をです。こうした作業を、メンバーの肉体労働だけでやってのけたのには、感激させられました。ヘビも出ますし、象も出没します。メイン・タンクからは細いパイプで各部落まで編み目のように配管しました。メイン・タンクからのパイプの総延長は、80km近くにおよび、現在も延長しつつあります。全体では60k㎡の地域をカバーしています。
 
④  給食援助プログラム
1999年の大旱魃の際、大打撃を受けたンダラグア地区では、たくさんの子供たちは学校を中退せざるをえなくなりました。深刻な状況を緩和するため、被害の非常に大きかった地区で、最終的に9校・約2,500名の子供たちに対して、事態が落ち着くまでの約8ヶ月間給食を支給しました。当会は、乾燥させたトウモロコシ90kg入りのバッグを一人当たり200g計算で小学校に供給し、学校ではそのトウモロコシを生徒のお母さんたちが200リットルのドラム缶で煮て、給食にしました。豆は入っていませんが、キクユ族の主食であるギデリです。計算すると、1日に500kgのトウモロコシを供給していたことになります。実際には、一週間ごとに各小学校がロバに引かせた荷車で、90kg入りバッグを生徒数にあわせたバッグ数だけ取りに来ていました。私はトラックで、穀物公社から買い付けたバッグを数十バッグ単位で、私の穀物小屋へ毎週運び込んでいました。すべての子供が飢えていたわけではないのですが、中には1日中でこの給食しか食べていなかった子もいたようです。一家族が飢えないためには、このトウモロコシのバッグ90kgを毎月買えればいいのですが、また、90kgの1バッグは2500円くらいしかしないのですが、その2500円の現金収入が1ヶ月にない家族がいくつもあるのです。多分、小学校に子供を持つ家庭の半分近くが、この地域ではそうなのです。今回の2007年から2009年10月にかけての大旱魃の末期には、全国的に政府が給食を行いました。
 
⑤  陸上部援助プログラム
2000年から2007年、教科書やボールを寄付していたダラグア地区内の一地域で、若くて才能のある長距離陸上選手を育成するため、地域密着型の陸上部、およびその生徒が通う公立小学校・中学校の教育環境改善を支援しました。このクラブは非常に強くなり、特に女子のジュニア(19歳以下)では、文句なしにケニア最強チームでした。世界陸上ジュニア選手権(19歳以下)で、金メダル1つ、銅メダル1つ、世界陸上ユース(17歳以下)で金メダル1つ、アフリカ・ジュニア選手権で金メダル1つ、銀メダル1つを獲得しています。また、世界クロスカントリー選手権にも、この間5名をケニア代表として出しています。日本でも、S&Bのカロキ、NTNのワウェル、愛知製鋼のドゥングはうちのクラブからの選手です。また、世羅高校のケニア選手もうちのランナーですので、年末の全国高校駅伝、正月の全国実業団駅伝では、応援してやってください。
 
編集室より  
しばらく気になっていたパン屋さん(Cake Plaza)に行ってみました。「あんぱん」があったので、買ってみました。店員さんに誰が作ったのかたずねてみると、ちょうどシェフの格好をしたおじさんが登場!韓国からの方で、今年1月にケニアに来てベーカリーを始めたんだそうです。あんぱん、食パンとクッキー、買ったものすべて美味でした!(ひさこ)

ニャフルルの空
ニャフルルの空