2009年6月15日発行  水無月号 vol.11 

 

丸川さんからのメッセージ 
オバマが有力な大統領候補になった去年の初めから、ずっとオバマのことを書こうと思っていたのですが、電話の切り替え、紅茶の特別生産への変更、値上げのお願いと、業務連絡ばかりになってしまった一年でした。その間に、去年の初めならまさかと思うようなことが本当になってしまい、歴史の動きの早さに驚かされています。今では、オバマが米大統領としてテレビ画面に現れても、少しも違和感をおぼえません。しかし、それにしても彼のスピーチ、演説はすばらしいですね。表現のうまさだけでなく、忘れられかけていた「未来への夢」を取り返そうという、情熱(Passion)が確かに感じられて、心を打ちます。

 

さて、みなさまもご存知のとおり、彼のお父さんはケニア人で、こちらでは「我々の息子がアメリカの大統領になった」と言わんばかりの自慢ぶりです。大統領当選が決まった日は突然、公休日になってしまったくらいです。1963年の独立前に、優秀な子たちを、将来に備えてアメリカに留学させた中の1人だったようです。米での経緯は皆様もご存知だと思いますので飛ばして、2~3歳のオバマを残して帰国後は、米での学歴を生かして、政府の経済顧問のような仕事をしていたようです。同じく経済学(London School of Economy)を修めたキバキ現大統領とは、キバキ自身は当時既に有力な大蔵官僚だったのですが、かなり近い知り合いだったようです。ただ、出世よりも生活をEnjoyするタイプだったらしく、それ以上出世した形跡はありません。ちなみに、帰国後数人(?)の女性と結婚していたようです。少し話を付け加えると、現在でもケニアは重婚が法律で認められており、何人嫁さんを持っても、資力があれば問題ありません。

 

部族から言うと、オバマのお父さんは、ルオ族で、ビクトリア湖東岸のキスムを中心に居住し、魚が大好物の部族です。ナイロビ近辺に居住する最大部族のキクユ族とは、大のライバル関係にあり、現在も大統領(キバキ)はキクユ、首相(ライラ)はルオという政治状況です。これは、去年の初めに起こった大統領選挙後の大暴動を鎮める妥協の結果で、元来は敵・味方(今は両者知らんぷりをしていますが)の間柄でした。従ってキクユ族から見ると、オバマが米大統領になったのは、ケニア人としてはうれしいのだけれど、ライバルのルオ族が自慢しすぎるので、ちょっと引っかかると言うのが本音のようです。何せ部族主義と言うのは、元来、血の濃さの問題ですから。

 

私の家内はキクユ族ですし、友人その他もほぼ全員キクユ族という状態ですので、ちょっと公正な判断はできないかもしれませんが、私の目から見ても、ルオ族は教育に熱心だという印象はあります。郷土が人口過剰・土地不足に陥っているらしく、ナイロビに一度出てくると、郷土へ逆戻りはできない、という深刻さで住み着きます。大学を出た一部エリートをのぞき、経済を牛耳るキクユ族の下で、大勢はスラム住まいという事になります。もっとも、キクユも金持ちはごく一部で、70~80%はスラム住まいというのが実情ですが。

 

スラムの住人はやはり喧嘩っ早いのか、暴動の際にはいつも発火点です。また、ライバル部族を避けるようで、スラムによって部族の色分けがあります。例えばマダレのキクユ、そしてルオはキベラというように。他の部族は、両者の間でおとなしくしているという感じでしょうか。もっともナイロビは人口300万人以上の大都市で、経済の実力(GDPにあたるもの)は全国の50%には達しているようですので、富が集中し、全国すべての部族が集まっているというのが本当です。

 

ナイロビの人口の30%ほどを占める中産階級では(従って私の印象では、人口の70%はスラムの住人かそれに近い人たちです)、新しい時代が始まっているようです。ここの子供たちは、スワヒリ語かUpper Middleでは英語で育っており、部族主義の根幹である部族語をしゃべれません。田舎から出てきたおばあさんがしゃべる部族語が、かろうじて理解できるといった状態です。これは、キクユ、ルオに限らず、すべての部族にいえることで、教育も私立小学校で白人、インド人まで含めた部族まぜこぜの中で育ち、見るテレビ番組もスワヒリ語によるこちら産のドラマか、アメリカのドラマ、CNN等を見て育ちます。新しいナイロビ族が出現しているようにも感じられます。私の家でも、娘に私は英語、家内はスワヒリ語で話します。DVDで見るカートゥーンはDisneyとDream Worksという状態で、これはUpper Middleではどこも同じだと思えます。

 

先に、私立小学校・高校では、白人、インド人、各部族混ぜこぜと書きましたが、これはナイロビのUpper Middleの住宅街や中心街ではもっと顕著で、加えて、中国人、韓国人、アラブ人、その他諸々、更に少々の日本人(ケニア在住の日本人はたったの数百人だそうです)が、ごったまぜになっています。

 

私は若い頃、New YorkやLondonにいたこともありますが、国際カップル、混血のこどもの比率が高いことでは、ナイロビは世界で一番の都市ではないかと思えます。私と家内が街を歩いていても、またどんな色の組み合わせのカップルがあるいていても、当たり前すぎて、誰も振り向きもしません。人種・国籍・宗教の入り混じった21世紀の新しい文化が、ここから育つのかもしれません。

 

それにしても、この中産階級の運転するところの車の運転マナーの悪さは、なんとかして欲しいものですが。

 

編集室より
日本からもツアーを組んで、ランナーグループが参加した、『ソトコト・サファリ・マラソン』。スタート&ゴールが、ナイロビ国立公園内だったので、ケニア野生動物公社のレンジャーが、ところどころに配置されていました。キリンさんやライオンさんと一緒には走れませんでしたが、生まれてはじめてハーフマラソン(21km)を完走。天候にもめぐまれ、Qちゃんとも途中ですれ違って、手を振ってもらい、楽しく走ることができました!大会2日前の夜に、ニャマ・チョマとヤギのスープ3杯(次号参照)をがっつりいただいたおかげで、一歩も歩かず、ゴールができたのだと信じています?!(ひさこ)

完走しました!
完走しました!