ケニアからの手紙 Vol.28 2018年1月22日

 

◇ナイロビ・丸川さんからのメッセージ

 

明けまして、おめでとうございます。

 

ケニアの去年後半は、政治的に大騒動でした。8月8日に大統領選挙が行われましたが、野党が選挙結果に異議をとなえて、最高裁に提訴しました。最高裁は、選挙、開票が正当に行われなかったとして、選挙を無効とし、再選挙行う、という判断をくだしました。再選挙が10月26日。この過程で、予想通り野党は選挙委員会自体に問題があるとして、ボイコット。再選挙は、投票率は低かったものの、現職が大勝。この再選挙に対しても、選挙無効を求める提訴が行われましたが、最高裁の同じメンバーによる判断は、今回に関しては提訴を却下ということで、一応法律的には決着がついたのですが、野党側は大統領の正当性を認めておらず、まだまだ煮え切らない状態です。

10年前,2007年の大統領選挙の際には、同じ選挙結果をめぐって大暴動が発生し、1300人以上が死亡。60万人以上が国内難民化するという事態が発生していますので、ケニア人は、ケニアに住んでいる人は、私も含めて、選挙には極めて神経質です。

というような状態で新年を迎えたケニアです。

 

ところで、今回書きたかったのはケニアの政治についてではなく、再選されたウフルー ケニアッタ氏ついて面白い話が新聞に出ていたので、紹介します。

そのウフルー大統領が、彼の ひいおばあさん のダワリー(BRIDE PRICE /花嫁料)が払われていなかったので、払う為にその一族を探している、というものでした。

ウフルー大統領のお父さんは、ケニアの初代大統領(ケニア独立は1963年)ですが、1978年に89才の高齢で亡くなっています。その おばあさん の結婚となると、多分1840年代頃の事だと思われます。当時は、イギリスも内陸部まで入っておらず、それどころか、探検隊がやっと入りだした、リビングストンの時代の話です。

何故ダワリーが払われなかったかというと、実は略奪婚だったからなのだそうです。

その1840年代のいつか、キクユの戦士が(ウフルー ケニアッタ大統領は、キクユ族)マサイの部落を襲撃し、家畜と少女を略奪したんだそうです。マサイの男子の成人式はライオンを殺すことだったというほどで、マサイは勇猛な戦士ですから、マサイがキクユ族の部落を襲うという方が普通だったはずですが、その逆も時にはあったのでしょう。

ダワリーは、花婿側の家族が、花嫁側の家族に対して、平和的に払うものですから、略奪婚では当然払われなかったわけです。

今頃になってというのは、マサイ族の協力を得たいという、キクユ族の大統領の政治的意図がうかがえます。

 

一方、ダワリーは払わなければならない、という文化的価値観が広く根付いている、という事もうかがえます。

以前、田舎でスピーチをしていた時の経験です。ケニアは非常に英語の通じる国ですが、(小学校1年から英語教育です)それでも田舎のお年寄りのなかには英語の分からない人がいて、キクユ語に通訳してもらいながら、スピーチをしました。その時「無責任」という言葉の通訳が異様に長いので、後で聞いてみると、無責任という意味の良いキクユ語が思いつかなかったので、何々のような人、つまり無責任な人、と通訳したということでした。その、何々のような人、の例が、結婚していながらダワリーを払わない人、つまり無責任な人、と表現したんだそうです。この話からも、ダワリーの重要さがわかるでしょう。

一度、友達の親戚のダワリーの集まりに参加したことがあります。花婿になる若者の両親、兄弟姉妹だけではなく、おじいさん、おばあさん、おじさん、おばさん、いとこ達、それに友人達まで含まれますから、ゆうに30人以上が車を何台も仕立てて、花嫁の家に向かいました。花嫁側も、その大家族、友人達、近所の人達まで含めて、待ち受けています。

このようなダワリーの集まりは、基本的にそれ以前に合意されていますので、まあお祭り、プレウェディングみたいなものです。しかし、一応ダワリー、つまり花嫁の料金を交渉している振りをします。

その交渉は、年配の男性同士で行いますが、交渉がさも決裂したかのように、花婿側の男達が部屋から出て来たので心配したのですが、これも芝居で(花嫁側も了解済み)、また部屋に戻ると、最後は円満に同意したということになりました。まあ、高い、安い、の交渉をした事にしたのですが、実際双方の家族の経済状況で、値段、または贈る物が変わるようです。

ちなみに、キクユ族では一般的に野羊(ヤギ)100頭が基本なんだそうですが、お金に直すと、約60万~70万円にあたります。現在はもちろんお金で払われますが、実はやはり交渉可能(ダワリーの集まり以前に)のようで、ヤギ100頭は目安ということのようです。

キクユ族はヤギ100頭ですが、キクユの西、西北に住むカレンジン族では、乳牛6頭に、ヤギ2頭だそうです。これもお金に直すと、60万円くらいになります。また調べてみますが、マサイですときっと牛が何頭ということになるのでしょうね。

同意、合意が発表されると、二つの大家族(クラン)がこの結婚をとおして結び付けられるということで、めでたしめでたしの大パーティーとなります。

 

こう書いてきますと、ダワリーは結婚の前に払われるもののようですが、実際は同棲を何年もして、子供も何人かいて、という状態で支払われるのが普通のようです。先にも書いたように、60万円というのはケニアの一般の人には非常な大金ですので、なかなかお金が用意出来ない、ということがあるでしょう。それと、花婿側に、そんな大金を前払い(?)で払うのはイヤダという感じもあるようですね。まあ、ダワリーを払った後に別れでもされたら、目も当てられない、といったところでしょうか。また、分割払いというのも、非常に一般的なケースのようです。

それでもダワリーが支払われれば良いのですが、払いきる前に男性が亡くなってしまうこともあるでしょう。そうなると、その子供達がお母さんの花嫁料を、お母さんの両親、実際はケニアでも男性の方が早くなくなりますので、お母さんのお母さん、おばあさんに支払うことになります。日本人にはちょっと変ですが、私の身近なところで実際起こっています。

まあそいう未払いが2代、3代と続くと、最初の話のウフルーケニアッタ大統領が、ひいおばあさん の花嫁料を払う、子孫が払わなければならない、となって極めて論理的です?

 

これを書いていてちょっと気になったので、家内に尋ねてみますと、つい去年にお母さんのダワリーをおばあさん(お母さんのお母さん)に完済したという事で、驚いてしまいました。

結婚からもう45年以上が経っています。お父さんは1992年頃に亡くなっていますから、棚上げになっていたのでしょう。夫を亡くした後、8人の子供を抱えて、お母さんにはダワリーを払う余裕はとてもなかったでしょう。残金は多くなかったと言っていましたが、お母さんはおばあさんの長女で、今も非常に親しい仲です。私もおばあさんの家を訪ねたことがありますし、何回も会っています。

その後家内が続けたのが、これで私達のダワリー(お母さんの8人の子供のうち、3人が娘。家内は一番上の長女)を、お母さんが受け取れる、でした。

つまり、ダワリーが未済の場合、娘のダワリーをお母さんが受け取ってしまう訳にはいかず、おばあさんに渡さないといけない、ということです。おばあさんはもう年ですから、そのお金(ダワリーの最後の支払い)は有難かったと思います。

それでもう一度、周りの人達にいろいろ聞いてみたのですが、ダワリーは手付金みたいなものを最初払った後、何年もかけてお金に余裕がある時に払っていくのが、花婿側の家族が大金持ちでもない限り、当たり前、普通だということでした。

ですから、私が目撃したダワリーの席での支払いは、多分手付けで、ダワリーの一部だったのでしょう。かなりの札束を持っていましたが、60万円にはとても足りなかったです。

 

こちらの結婚は早いですから、女性は40才くらいでおばあさんになります。それで例えば、45才位から、2~3年に一度2~3万円がダワリーとして入って来るのは、非常にありがたいでしょう。

 

ところで、ダワリーはシステムとしては完全に父系制的なものです。花婿の家族が、花嫁を他の家族から貰う、買い取る(?)、という形だからです。

普通、遊牧民は父系制的で、農耕民は母系制的だといいます。

確かに、私は何十年にも渡ってキクユ族を目撃してきましたが、母系制的な性格が非常に強いです。つまり、おばあさん(お母さんのお母さん)、お母さん、それにおばさん(お母さんの姉妹)と、子供達の関係が非常に強いのです。ですから、その母系制的性格が非常に強い社会に、父系制的なダワリーが深く根付いているのを不思議に思っていました。

ところで今回ふと思い付いたのですが、このダワリーのシステムが実際には、母系的なお母さん、おばあさんのラインへの、社会的保障、一種の年を取った女性への年金になっているのではないか、ということでした。

息子は家に残りますから両親、以前にも書きましたが、年齢差もあり女性の方が10年以上長生きしますから、つまりお母さんを助ける立場にありますが、実は娘もダワリーという形を取って、夫と一緒に母親を援助している、ということです。

つまり、元来父系制的なダワリーというシステムが、農耕化し母系制的社会に変容したキクユ族の中で、社会的機能を変えた、というアイデアです。

 

キクユ族を含むバントゥー系の人達は、現在のタンザニアの方から北上して来たのですが、それは意外と新しく、ケニアでの定着はせいぜい300年前だと言われています。それに対して、マサイ等の遊牧民はそれ以前に、スーダン方面から南下して来ていたようです。

ケニアで定着し、農耕化したバントゥー系族、キクユ族ですが、定着前は移動していた訳ですから、多分若干のヤギ、牛等の家畜を連れ、成長の早い葉もの野菜、豆類の栽培植物を持って移動し、更に狩猟、採集を行いながら、生活していたのだと思われます。しかしこうした集団は、やはり遊牧民に近い父系制的な性格を持っており、ダワリーというシステムを受け入れていた、と想像しています。

大分、人類学的な話になりました。

 

しかし、もしこのダワリーの制度が、老人を擁護する社会的機能をはたしているのだとしたら、それを払わないのは無責任の限りだ、という先の話も、単にお金を払わない奴への非難だけではなく、違って聞こえるのではないでしょうか。

読み直してみて、ダワリーの規則性が強調されているので、ちょっと付け加えたくなりました。当たり前ですが、親は、娘夫婦、その子供達の幸せを願っている訳ですから、ダワリーの支払い、遅れても待ってくれるわけですよ。

 

私の家族の話を書きましたので、じゃあお前のダワリーはどうなっているんだ、という質問が飛んできそうですが、実はそれはお母さんから、家族への貢献を既に十分してもらっているから、という理由で、免除されています。そのあたりを書いて結びにしようと思っていたのですが、かなり長くなりそうですし、もう充分に長くなりましたので、次号に譲りたいとおもいます。

 

最後になりましたが、いつものように1月は奨学金の季節です。

今年は16人を取りましたので、計56名となりました。

推薦小学校から1人を取るようにしてから、奨学生の数が増えています。従って奨学金の金額も、一人当たりの上限を決めているものの、増えています。今年一杯は大丈夫な寄付金はいただいていますが、来年に入ればもう即座に頓挫する状況です。(1年の奨学金支払いの70パーセントは、一学期が始まる1月に支払われます)

この奨学金のシステムは,ケニアの田舎の生産者(お百姓さん)と、日本の消費者とを繋ぐカナメですので、是非続けていきたいと思っております。

寄付の方、よろしくお願い申し上げます。

 

◇2017年8月 奨学金セミナー ご報告

 

2017年8月「ケニア山の紅茶」の産地・ギドンゴ製茶工場で、このプログラムの恩恵を受けている学生たちを集めて、セミナーを行いました。少し遅れましたが、その様子をご報告いたします。

 

8月27日(日)、開始予定時刻は14:00。時間前に来る子たちもけっこういました。出席の登録後、順番に顔写真と全身写真を撮影しながら、みんなが揃うのをまっていました。少し遅れて14:30、セミナー開始です。

この日は、Githongo製茶工場からは工場長・ムワンギ氏と生産部アシスタントのホテンシアさん、農家代表からは、Vice Chairmanのキアラ氏、ンテーレ氏、ムガンビ氏、そして、交友会からは、ナイロビ本部代表の丸川氏とマネージャー・ムンガイ氏、私が出席しました。

ムワンギ氏が学生に向けて話します。「丸川氏は長い間、ここGithongo紅茶のバイヤーで、親身になって支援をしてくれています。大企業のようなバイヤーではないけれど、継続してサポートしてくれています。だからみんな、明日のことを心配しないで、学業に専念するんだよ。

とくに4年生(高校最終学年)は、朝、アラームが鳴る前に起きるようにしなさい。目的をもって、目を覚ましなさい」と、自己管理の大切さを強調していました。「丸川氏がみんなにしてくれたことを、10年や20年後、今度は君たちが他の人にやれるようになってほしい。チャンスを逃さず、自分の土台を築き、ベストを尽くして、がんばってほしい」と述べました。

農家側からは、ムガンビ氏が感謝の言葉を述べたあと、地元の学校の校長を務めるンテーレ氏が、勢いよく学生たちに話しかけました。

「みんな、約束の時間はぜったい守りなさい!そして、このことばをいつも思い出して!Hard work pays(=努力は、報われる)!

君たちのような賢い子には、たくさんの<親>がいるということも、忘れてはいけないよ。自分を生んでくれた親だけでなく、ここにいる工場長や近隣の人たち、学校の先生、丸川氏が君たちを見守っている<親>なんだよ」と話しました。

 

工場長が改めて「クラスでAを取っている子たちとつき合って、お互い切磋琢磨しなさいと、去年も言ったよね…?覚えてる子はいるかな?」と聞くと、4年生のフィネアス・ムトゥイリ君が立ち上がり、ちょっと冗談っぽく言いました。「僕のクラスには、Aの子がいません…」。同じく4年生のジョイ・カズレさんは「はい、覚えています。まじめな子とつき合うようにしています」と答えました。

「教師をしているからわかるけど、Aがいない学校なんてないぞ」とンテーレ氏が言います。会場が笑いにつつまれ、場がなごみました。

「Aの子がいないなら、Bだってかまわない。とにかく、成績の良い子と付き合うように」と工場長が念を押しました。

 

キアラ氏は、「丸川氏がこの紅茶を買い続けていることに感謝します。このサポートがなかったら高校に進学できなかったみんなは、つねに感謝を忘れず、丸川氏の会社がもっと発展するように祈るんだよ。与えられたチャンスを最大に生かすように!

Facebookなんてやっていないで、成績を上げるように集中しなさい。みんなは勉強するために高校に通っているんだからね」。

 

つづいて、交友会ナイロビ本部・マネージャーのムンガイ氏が、奨学金プログラムについて、数字を中心に説明しました。

 

・ 2011年のプログラム開始から現在まで、68名がこのプログラムで学費のサポートを受け高校に進んだ。

・ うち、すでに高校卒業しているのは、17名

・ 2011年に選ばれた5名は、全員大学に進学

・ 2012年選ばれた7名のうち、5名が大学へ

・ 2013年選ばれた6名のうち、女子1名が大学へ

・ 去年3年生だった男子1名が、連絡なしに退学

・ 転校した学生、5名

 

この説明のあと、製茶工場をとおして、学費の詳細、学期ごとに成績表を送ることなど、コミュニケーションをしっかりとることを強調しました。何も言わずに高校を去ってしまった学生が1名いたので、どんなことでも必ず相談をするよう学生たちに伝えました。

 

そして、最後は丸川氏のスピーチ。

「きみたちが生まれるずっと前から、Githongo製茶工場に通っています。もう25年も、この紅茶を買い続けています。そして、その利益と日本からの寄付で、ここの地域社会により貢献できるだろうということで、奨学金プログラムも始めました。

さて、みんな、人間にとって何が一番大事か、わかるかな? …【教育】とみんなは思うかもしれない。だけど、もっと大切なのは【よい心/きれいな心】だよ。頭が良くて、悪いことばかり考えるような人間は、最低だから。まずはハート。これをみんなに理解してもらいたい。

学校での成績がCだとしたら、次はBをめざし、そしてAに届けばいい。このプログラムへの「投資」は、みんなが成功しない限り、成功しないんだよ。

行けるところまで行きなさい。空に限界はないんだから。たとえば、医者になりたかったが、なれなくたって、それは人生の失敗ではない。

 

ここにいる50名がこの地域に還元するために、【教育】で身を守りなさい。

私は死ぬときに、ここのみんなが次の世代を助けているというニュースを聞きたい。自分なりの成功に近づくように、がんばってほしい。

 

40年前の日本の話をします。日本の大学入試で、もっとも難しいと言われていた大学に合格した女性が、インタビューにこう答えていた。

「勉強し、知識を身に着け、賢い母親になって、子どもにも受け継いでいきたい」と。

男も女も、同じ機会を与えられたら、同じ力を発揮できるはずです。「成績がよくないから…」といじけて、退学などしてはいけないよ。少なくとも高校は卒業しなさい。このプログラムから何かを得て、次世代につなげていきなさい。

チャンスを生かして!夢をもって!」

 

司会のムワンギ氏が、最後に学生からのひとことを促すと、アーネスト君が「夢を実現できるように努力していきます」と感謝の言葉を述べました。

 

製茶工場の女性スタッフが、セミナーを無事に終えたことを神に感謝、みんなでお祈りをしました。

 

セミナー終了後は、おいしいチャイを飲みながら、おしゃべり。なかよし2~3人での記念撮影や、丸川さんとのツーショットを撮ってくれと、何人もやってきました。今回はずいぶん積極的に写真を撮りたいと申し出てくる子が多かっです。回を重ねるごとに、学生たちも慣れてきて、距離が近くなるような気がしました。

 

郵便振替口座 00110-5-450063

日本ケニア交友会寄付金・奨学金係

または、ゆうちょ銀行 店名 ゼロイチキュウ

当座0450063

 

いつもご支援ありがとうございます。

引き続き、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

 

◇紅茶農家さん 訪問しました byひさこ

今回、訪問したのはムリウキ氏。目が見えないそうですが、娘のルースさんと一緒に私たちを迎えてくれました。彼は、家族に手伝ってもらい、茶畑を管理していると話してくださいました。この土地に初めて紅茶を植えたのは、1962年だそうで、ていねいに茶摘みをされている様子が、畑の様子からよくわかりました。畑や家庭菜園、おうちのまわりをひととおり見せていただいたあとに、ケニア式おもてなしを受けました。「紅茶でも飲んでいって」と、しぼりたて牛乳で作った温かいミルクティーをごちそうになりました。

 

◇編集室より

きびしい寒さが続いております。こんな季節は、温かい牛乳と茶葉だけでつくる、ぜいたくなミルクティーをおすすめします。お茶出しパックを使えば、簡単にできます!

 

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