ケニアからの手紙 2015年10月1日発行 Vol.24

丸川さんからのメッセージ

まず報告です。前回の8月号でボーダー線上にあると書いた、STEPHEN KOOME君ですが、無事大学にパスいたしました。これで去年卒業した第1期奨学生5名中、4名は大学にパスしたことになります。残りの一人JOY KARAMBUさんですが去年は僅かのところで逃していますので、今年はまず大丈夫でしょう。ということは、5名中、5名が大学に進学出来ることになります。

 

ただ1期生は5名と数が少ない分、小学校卒業資格試験(KCPE)の成績が良い子だけを取れましたが、今後8名、13名となってくると、将来大学に進めない子も出てくるでしょうね。でも、それでも出来る限り12-13名を毎年取っていくようにしたいと思っています。高校を卒業することは、それだけで非常に大切です。ちなみに、今年の4年生(最終学年)は8名、3年生は6名、2年生8名、1年生13名の、計35名です。

 

さて、前回の8月号で、90年代後半ニャフルルで行っていた奨学制度で、一定以上の寄付をいただいた方に子供たちから直接お礼の手紙が届くようにしたところ、手紙の中で生活の苦しさを訴え、「もっとお金を送って欲しい」という手紙が届いたので、文通を中止した話を書きましたが、そのあたりの経緯をもう少し詳しく書きたいと思います。

 

当時、寄付をして下さっている方から連絡があって、「こんな訴えの手紙が来たのですが、丸川さんどうしましょう。もっと寄付をしましょうか?」という話でした。その時の私の返事は「いやいや、もしもっと寄付をしていただきますと、彼女の家族の面倒をこれからもみてもらえると、期待させてしまうことになります。寄付で貧困を解消することは出来ませんから、止めておいて下さい」でした。「もう少し、何かしてあげられればいいのですが」という言葉が返って来たのを記憶しています。

 

私も非常にしばしば経験していることですが、こうした貧しい家族を援助しだしますと、次から次へと問題、苦労、悲惨なことが出てきて、終わることがありません。子供の学費がないということは、食費だって十分にないし、医療費が必要になるとこれはもう…。奨学金の場合、卒業すれば一応切りがつくということがありますが、生活援助の場合それがありません。

 

この奨学金のお礼の手紙に、お金をお願いした女の子の立場を少し考えてみましょう。

 

まず、とにかく貧しいのです。そして非常にしばしばシングルマザーの子供です。でなければ、孤児。おばあさんの家に住んでいます。1日中何も食べるものがなく、次の日に何か食べられるのかも分からず、お腹をすかしたまま寝入ることなど、雨が少ない旱魃の時には当たり前のようにあります。1か月に約3000円の現金収入があれば、1家族が1か月に食べるトウモロコシを買えますから、飢えることはありません。その3000円が手に入らないのです。旱魃期には、農作業の賃仕事もなくなってしまいますから。お父さんが死んだら、お父さんの兄弟(つまりおじさん達)に住んでいるところを追い出された、などという話も耳にします。シングルマザーのお母さんの兄弟に追い出された例もあります。(土地の遺産相続に妹を入れない為)

 

当時私が支援していた子たちの99%は地域がらキクユ族でしたが、キクユ族の社会は非常に強い母系社会です。ということは、私の家内と彼女のお母さんもそうですが、お母さんと娘の絆が非常に強いということです。つまり、彼女は、お母さんの、家の手伝いを精一杯やっているし、お母さんのことをすごく心配していたのです。お母さんは僅かな労賃をもらう為の、厳しい肉体労働で疲れ果てています。私も、40代くらいの女性が90kg入りのトウモロコシの袋を、腰を深く曲げ、袋を背中に乗せて運んでいるのを、何回も見ています。そんな事を続けていたら、腰も背中も痛めてしまうでしょう。反対に賃仕事がなければ、今度はお金の心配で疲労困憊してしまいます。そんなお母さんを見て、少しでも助けられないかと、悩んでいるのです。彼女に出来ることは、子供ですから他に知る人もなく、奨学金のスポンサーである優しい日本人に手紙をおくるだけ、といことだったのではないでしょうか。

 

しかし、手紙を受け取る方としては、ケニアの田舎における貧困層の貧しさ、悲惨さを聞いても、全てを引き受けてやる訳にはもちろんいきません。でなければ、家族全体の面倒をみてやらねばなりません。それも、ずーっと。どうもしてあげられない悲惨さを聞くのは、心優しい人ならますます、心が痛むでしょう。

私は、そんな心の痛みは感じていただかなくても好いのではないか、と考えたので、文通を止めたのです。こうした悲惨さには、何か根本的なものが変わらない限り、終わりがありません。私自身は、自ら好きこのんでケニアに来たのですし、母の影響が大きかったと思うのですが、少しでも人助けが出来ればと、こういう活動を始めたのですから、自分が出来ない事に心を痛めるのは、致し方のないことでしょう。

 

1家族の面倒はみてやれても、それより貧しい家族がいますから、また不幸にみまわれる家族はいくらでもいますから、尽きるところがありません。奨学金の選考においてもそうです。取ってやれる子はよいのですが、取ってやれない子が必ず存在します。そして、取ってやれる子と、取ってやれない子の生活の差を考えると、選考にかんしては、いつも胸が詰まってしまいます。ですから、今年は全員を取ってやれたので、非常に嬉しかったのです。

まあ近頃は、自分の出来る事を、その範囲でやれば、それはそれで良しとする、と区切りをつけて考えるようになりましたが。

 

田舎の貧しさについて、私の経験を少々付け加えさせていただきます。

90年代後半の大旱魃の際、ニャフルル近辺の10校少々の小学校で2000人以上の子供たちに、ランチの給食を出していたことがあります。時々そんな小学校を、どんな具合かと見回っていました。ドラム缶で煮込んだトウモロコシと少々の豆のお皿1盛の食事(キクユ名でギデリ)に、子供たちは長い列を作って待っているのですが、先生達と話しをしてみますと、多分この子達の20%は1日でこの食事以外食べていないだろう、との話でした。

陸上競技クラブ運営からの経験です(※注)。

クラブでは、ホステルに合宿している有望選手を別にしても、土曜日と日曜日には近所の子供達にたいして、練習を公開していました。その際、ランチを食べさせます。それが、雨が少なく、旱魃が心配されるような年には子供の数が増え、雨が多い年には子供の数が減るのです。考えますに、雨が少なく、旱魃の恐れがあるときには、母親がMfae(うちのクラブの名)に行ってランチを食べて来なさい、と言い、雨が多い時には、遊んでないで(スワヒリ語で、スポーツと遊びは同じ、MCHEZOです)、畑へ行って草むしりでもしなさい、と言うのでしょう。この傾向はかなり顕著でした。

背中にのせてトウモロコシの袋を運ぶ話しの続きを少々。

男はトウモロコシの袋を、頭の上にのせて運びます。2-3人でヨイショと一人の頭の上にのせます。後は、目的地まで一人でヨタヨタと歩いて行き、着いたらドサッと投げ捨てる感じです。男の子としては、この90kgの袋が担げないと一人前ではない、という感じですね。この運び方の方が体力的にみて、ズッと合理的なのですが、キクユの女性はまず頭の上で物をはこびません。ただ、ウガンダに近い西の方の部族では、女性は頭の上で物を運ぶのが普通です。水汲みで水を入れたバケツを頭の上にのせて、手で支えずに平気で歩いている女性を見たことがあります。すごいバランス感覚です。

 

私のオフィスの引っ越しの際の話しですが、何回も名前の出てくる公認会計士のDAVID君と、DANIEL君(うちのオフィスで働いていますが、家内の弟。31歳)が大活躍でした。ものすごく重くて、大きい棚、机などを、ヒョイと担いでしまうのです。翌日、彼らに「昨日は大活躍だったねえ」と誉めますと、「僕は田舎の子だから」ですって。それだけの体力がないと、田舎では生きていけないのです。

 

先月の世界陸上選手権を見ても分かるとおり、ケニアはすごい選手、ランナーを輩出していますが、彼らは脚力だけがすごいわけではないのです。ランナーは全て田舎の出身ですから、全身の筋力が日本人とは比べものになりません。

 

話が大分横にそれてしまいました。奨学金に話しを戻しますと、去年は27名、今年は35名。このまま12-13名を取り続けていきますと、3年後には50人に達してしまいます。紅茶の方からももちろん寄付を行っていきますが、皆さまの寄付、よろしくお願い申し上げます。何故か今まで報告していませんでしたが、紅茶からの寄付金は、250g1袋当たり、約35円です。

 

<番外>

今朝(9月23日)の新聞に発表されましたが、わがGITHONGO工場は農家への還元率が、KTDA翼下66工場でNO.1に輝きました。総販売額の76%が農家に支払われました。チェアマンのMURETHIさんにTELを入れましたが、大喜びでした。また、わが交友会、支援者の皆さまにも、感謝とお礼を伝えてもらいたい、とのことでした。

 

暑くなってきた、ナイロビにて、丸川正人

 

(※注)2000年から2007年、教科書やボールを寄付していたダラグア地区内の一地域で、若くて才能のある長距離陸上選手を育成するため、地域密着型の陸上部、およびその生徒が通う公立小学校・中学校の教育環境改善を支援しました。

 

「ケニア山の紅茶」の産地において、2011年から開始した

奨学金プログラムへのご寄付は、下記口座にて受け付けております。

みなさまの温かいご支援、どうぞよろしくお願いいたします。


郵便振替口座 00110-5-450063

日本ケニア交友会寄付金・奨学金係


または、ゆうちょ銀行

店名〇一九(ゼロイチキュウ)

当座0450063



奨学金プログラムのセミナー ご報告

8月23日(日)午後2時から奨学生を集めてのセミナーです。今年はギドンゴ製茶工場オフィス横の会議室にイスが並べられ準備されていました。今回集まった学生は35名。

まずは、プロダクション・マネージャーのムゴ氏により開会宣言。いつも茶畑や農家に私たちを連れて行ってくれるフィールド担当・ピュリティさんがお祈りをして、ランチをいただきました。

 

ランチのあとに、製茶工場を代表しムゴ氏が、この奨学金プログラムの概要を説明しました。そして「高校4年が今後の人生を決める。さまざまな悩みや挑戦があるけれど、よい仲間をみつけ、ともに切磋琢磨してほしい」「たくさんの中から君たちは選ばれたのを忘れないで。社会を変えるためにしっかり勉強に集中して」と、彼の高校時代の苦労を交えて、学生たちに熱く語ってくれました。続いて製茶工場のダイレクタ―2名(ンテーレ氏とギトゥマ氏)によるスピーチ。そして農家代表チェアマン・ムレディ氏。「伝えたい事は、すでにみんなが言ってくれた。理解したかな?」と話を始めました。そしてギドンゴ製茶工場と日本ケニア交友会・丸川氏とのこれまでの友好関係を説明。「丸川氏は、1992年以来、私たちの茶葉にプレミア(上乗せ)をつけて買い続けてくれています。さらに、公立小学校への寄付、奨学金プログラムで教育支援もしてくれています。数ある紅茶バイヤーの中で、彼だけが紅茶を買ったあとに『ありがとう』と言って、産地を訪ねて来てくれます。こんなバイヤーはケニア中、探しても見つかりませんよ」と語りかけました。以前、高校の校長先生だったチェアマンは、いつものように「教育の大切さ」そして「集中して勉学に励むことの重要性」を伝えます。それだけではなく、このギドンゴ製茶工場のすばらしさも教えてくれました。「ケニアに66工場あるKTDAの製茶工場のうち、ギドンゴ製茶工場は昨年度、ケニア国内で10位!生産コストを下げて、75%を紅茶農家に還元しています」。紅茶農家が、農薬を使わず茶畑を管理し、日々ていねいに茶葉(一芯二葉)を摘み取ってくれるおかげで、おいしい紅茶が生産されていることと、改めて教えてくれました。学生たちには、「ギドンゴ製茶工場と丸川さんのFlag(旗)を掲げて、誇り高く生きてほしい」と語っていました。

 

最後にチェアマンは、この奨学金プログラムで去年初めての卒業した一期生5名を紹介し(うち1人は校長先生の希望でリピート中)、高校4年間でよい成績を修め、大学進学への希望を持つように伝えました。「みんなは、ここギドンゴの親善大使なんだよ!」と元気づけてくれました。

 

 

そして学生たちの「お父さん」こと・丸川氏のスピーチ。「君たちが生まれる前からケニアに来ています。そしてチェアマンとはもう20年以上も付き合いがあります」と話し始めました。「君たちは、よい学校にいる。けど、誘惑も多いかもしれない。ただ覚えていてほしいのは、基礎が大事ということ。この4年は人生の基礎になるから、知識も心も豊かな人間になるように」と。「この奨学金プログラムには女の子もたくさんいる。貧しくて苦しいこと・つらいことがあると思う。でも、君たちはちょうど地面から生えてきた若い木だと思ってほしい。植えられた木を、一晩の薪木にするために犠牲にしてはいけないよ。しっかりと大きな木になって、立派に枝や葉をつけることができれば、たくさんの人を養うことができるのだから」と、貧しいながらも高校4年の勉強をあきらめず続けるように訴えかけました。

 

 

彼らが生まれる前からケニアに来ている丸川さんは、この40年間、ケニアの移り変わりを見てきました。20年前はケニアに対して悲観的だったと言います。しかし、この頃はいろんな視点からケニアを観察し、明るい希望の光を感じるといいます。10数年前に別の地域で行っていた奨学金プログラムの卒業生が、次世代の奨学金制度をやろうと盛り上がっている話もしました。「ギドンゴでも、次の世代に支援の輪が広がるよう、期待しています。人生の分岐点にきたときに、良心をもって決断をしてほしい。日本のみなさまからの支援があるから、みんな安心して。しっかり勉学に専念してほしい」と締めくくりました。(ひさこ)

 

2015年12月1日からの値上げのお願い

ご承知のとおり、この2年半の円安は、1ドル80円以下から125円以上になるという、円の価値が2/3以下になるという、急激なものでした。ドル建てでは同じ価格でも、円建てに直すと50%以上の値上がりになってしまいます。

さらに、当会はケニアに本部を構え、紅茶の買い付けと、それに付随する業務、産地の支援活動を行っています。

 

ケニアのインフレ率は年68%ですが、ケニア通貨での出費を同額に抑えても、やはり円建てでは50%近い出費増となってしまいます。

オフィスを郊外の私の敷地に移して家賃をゼロにし、長年勤務した社員の円満退社などにより、人件費も極力切り詰めています。この3年来、シリングあたりの出費は減らしているのですが、とてもとても追いつきません。

 

つきましてはやむをえず12月1日からの10%の値上げのお願いに、至りました。ご理解のほど、よろしくお願い申し上げます。

 

ナイロビ本部 代表 丸川正人

東京事務所 富塚比咲子

 

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