ケニアからの手紙 Vol.22 2015年3月号

◇ケニアの教育制度について

前回の手紙で、ケニアの教育の、特に小学校の詰め込み主義について書きましたが、これは全国一斉のKCPE(小学校卒業資格試験)の結果を、学校同士が激しく競争していることが原因です。

ケニアの公立小学校はCapacity(収容可能な人数)も必要数に全く足りず、また程度(KCPEの結果)も悪いので、少し余裕のある家庭は、ナイロビに限らず、田舎においても、私立小学校に子供をやろうとします。ケニアにおいては、私立小学校運営は(私立高校ではなく)、多大な利益を生むビッグビジネスです。そこらじゅうに私立小学校があります。


しかし、生徒を集める為には、当然KCPEの結果が良くなければなりません。親の真意は、子供にKCPEで良い成績を取らせ、公立高校、出来れば国立高校へ行ってもらうことです。そして、もちろんその後は、国立大学へ。ですから、KCPEで高得点を取ることが、私立小学校の運営を成功させるポイントなのです。そしてその為には、詰め込みが必要になります。


公立小学校においては、先生方の給与は決まっていますから(公立小学校の先生方の給与は、政府の出先機関が全て支払います)、KCPEの得点を高めることによって金銭的な利益は得られません。むしろ、アルバイト等をする事の方が、女の先生の場合は家庭の仕事に時間を割くほうが、直接の利益になります。という訳で、詰め込み主義はありません。むしろ授業を遅く始めて、早く終わる、という状態です。しょっちゅうストライキをやっています。


ですから、公立小学校のKCPEの平均点は、英語、スワヒリ語、数学、理科、社会科の各100点、計500点満点で200点以下というのが普通です。KCPEは一つの質問に、5つの回答の中から1つを選ぶという、マークシート方式ですから、でたらめにピックしても、20%は取れる筈なのですが。


ところが、こうした公立小学校にも、出来る子がいるのです。以前(1995-2006年)にニャフルルで行っていた奨学金制度では、350点以上取っていることが、奨学金を申請する為の条件でした。そのくらいに条件を設定しないと、申請者が多くなりすぎて大変でした。中には、400点以上もチラホラいました。そして、すべての奨学生は、公立小学校出身でした。私立小学校出身者のなかには、貧しい子供もいるのですが(例えば、私立小学校がKCPEの平均点を上げる為に、貧しい家庭からの賢い子の授業料を免除するケースが、結構あります)、結果として公立小学校の点数と比較できないということで、除外しました。


奨学生はもちろん貧しい家の出ですから、家に電気などありません。それに、特に女の子などは、家の手伝いなどもしなければなりませんから、教室で習ったことを、そのまま覚えてしまえる頭でなければ、高い得点は絶対に取れません。教科書を一度読んだらそのまま覚えてしまえる、という子でないと、高得点はとれません。

現在はヨーロッパ諸国等の援助をえて、公立小学校も教科書を生徒に貸し出せるようになっていますが、私は1990年代後半ニャフルル近辺で、(この地名がしばしば出てきますが、家内の出身地です)小学校に教科書を寄付していた事があります。たしか、20数校にたいして、400~500冊ずつの教科書を寄付したと記憶しています。


それ以前は、教室に2~3冊の教科書しかなかったのです。授業というのは、先生がその教科書の内容を黒板にチョークでコピーし、生徒は黒板を見てノートにコピーするというものでした。


教科書の寄付の成果をKCPEの結果の変化でモニターしているときに、興味深い事に気が付きました。もちろん結果が上がった小学校もありましたが、ほとんど変わらない小学校もあり、中には下がった小学校もあったのです。


この理由の一つは、私の想像ですが、子供は書き取ることによって覚え易い、ということのような気がします。教科書寄付によって、授業中教科書は手元にあるのですが、読むだけで覚えられる子供の数は限られるのでしょう。もちろん、家に帰って予習、復習をする環境にはありません。

それに、先にも書きましたように、授業に対する先生の、能力、熱意も大問題です。


ニャフルル近辺で、1995年から2006年まで294人の奨学生の面倒を見たのですが、その294人の中には、高校時代に付いて行けなくて落ちこぼれた子もいるのですが、120人近くがこれも全国一斉のKCSE(高校卒業資格試験)に好成績を収め、国立大学に入学許可となりました。国立大学に入学許可されるのは、当時1年に1万人少々。ケニアで1年間に生まれる子供の数は100万人以上ですから、100人に一人のエリートです。もっとも、大学を卒業したからといって、就職先が必ずしもある訳ではないところが、悲しいところですが。


この奨学金制度から私が受けた強い印象は、ケニアには、ケニアの田舎には、賢い子がいる、ということでした。もし、こうした子供達に日本と同じ教育環境が与えられれば、日本の子供は負けるのではないか、と心配になります。


この奨学金制度ですが、私の手元資金がつきて、2006年度卒業生をもって、残念ながら終了となりました。


Githongo の紅茶工場における奨学金制度は、成績に対してもっと穏やかです。

先の奨学金制度は、将来の国の指導者を田舎の貧しい家庭から育てる、という事が目的であったのに対して、Githongo の場合は、紅茶栽培地域の貧しい子供に教育の機会を与える、というものですから、小学校の推薦の中から、孤児の場合は290点でも可能です。


学校の推薦も、「貧しい」という事を重視してもらっています。ですから、ほとんどの奨学生は、孤児か、シングルマザーの子です。実際のところ、二親がそろっていると、貧しくとも、やはり貧しさの程度が違うように思えます。


前者の奨学金が70万人以上の人口の中からの募集で合ったのに対して、後者は多分7-8万人の人口、Githongo 工場への茶葉供給地帯からだけの募集、という事もあります。

孤児の環境で350点以上取るのは、ほぼ不可能なようです。


◇2015年 奨学生の選考について

さて、そのGithongo奨学制、2015年度の選考について報告します。


去年、2014年度は、1年生8名、2年生6名、3年生7名、4年生5名の計26名の面倒をみていました。去年の11月にその4年生5名が卒業いたしましたが、そのKCSE(高等学校卒業資格試験)の結果については、次号で報告いたします。(この3月1日に発表になったばかりです)


今回はまず授業料の話から始めねばなりません。

去年の授業料の支払いは、ケニアの通貨で100万シリング。26名ですから、一人当たり4万シル弱の支払いということになります。


ここからが大問題で、実は私は円が高い時に、ドルが安くて1ドルが80円の時に、かなりのドルを買い貯めていました。しかし、そのドルも去年一杯で使いつくしてしまいました。そして、今は1ドルが120円。ケニアシリングに対しても、1シル0.9円であったのが、1.2円以上となってしまいました。


従って、年間100万シルの授業料支払いは、去年では90万円。今年は120万円となってしまいます。つまり、同じ26名への支払いで、同じ金額を支払ったとしても、日本円では30万円の出費増となってしまいます。

という訳で、今回の1年生を何人取るかが大問題でした。


卒業したのは5名ですから、新しい奨学生も5名以下にしなければ、人数は減りません。ただこれからも5名を続ければ、3年後には5名*4年で計20名に落ち着きますから、一人当たり年4万シルとしても、計80万シル、100万円くらいで落ち着きます。この3年間を頑張れば何とかなると、5名を取る方針で選考に向かいました。


推薦されてきた人数は15名。1小学校につき1名推薦ですから、紅茶工場地域19公立小学校のほとんどが推薦してきたことになります。

この15名の内、1名はKTDAが、他の1名はこちらの大手銀行が奨学金を出してくれますので、13名中から5名を選ぶという選考です。


これが難しい仕事になるのは、初めから分かっていました。しかし、授業料のリストを見てみますと、今年は安い授業料の子が多いのに気が付きました。これを少し説明しますと、古い伝統のある県立高校(正確には、プロビンシャル高校)は授業料(寄宿料含む)が高く、年約8~9万円位。新しく出来た県立高校は、これも寄宿料込みで4~5万円弱になります。従って、新興の県立高校に受かった子が多かった、ということです。


当会の支払いは、孤児に対しては85%、その他は75%が限度ですので、このパーセンテージを2~3%下げれば、同額で7名くらいはいけそうだな、となりました。それでも、13名中6名を落とす。相変わらずの大問題です。結局、みんな貧しくとも、学校が大好きな子達です。でなければ、田舎の公立小学校でこんな良い成績は取れません。


まず、お父さんが大酒飲みで、お金がない、授業料が払えない、という女の子が2人いました。かわいそうとは思いましたが、当会の方針としては、自助努力をしている人達を助けるのがモットーですから、落とさざるを得ませんでした。(後談あり)


一人の男の子は孤児でしたが、成績が一番悪く、1年留年してもらって、来年取ることにしました。これで3人。


更に、名前、KCPEの点数、出身校、家庭環境、入学許可された高校名と、授業料のリストを熟視していますと(うちのマネージャーのムンガイに作らせました)、2人の女の子が目に留まりました。シングルマザーの子供で、KCPEの成績も良いのですが、留年して(させて)います。それと入学高校が授業料の高い部類。彼らを(実際は、推薦した小学校の校長先生)を説得して、安い高校に変更してもらえると、さらに一人か、寄付金を2万円弱増やすだけで2人、新たに取ることができます。となると、残りは、唯一人。


まず、学校を変更する説得から始めます。

小学校の校長先生に電話を入れます。校長先生も女性のほうが多いです。この間の推薦や、問い合わせ等で何度も電話をやり取りした仲で、もうかなり親しい間柄です。言い方はこうなります。「マリーさんは奨学生に選考されましたが、年額の奨学金は34000円です」。多少のやり取りの後、「この金額では何々高校は難しいかもしれませんから、少し安い高校に転校させたらどうでしょうか?」と続く訳です。ところが、ところが、それに対して帰ってきた返事が、「いや、いや、残りの金額は我々(つまり校長先生、先生方、知り合い、協力者等)で何とかするから、入学許可になった高校に入れてやって欲しい」でした。


これは全く嬉しい誤算。我々の奨学金制度は、貧しい子供たちを高校に入れるだけだはなく、地域の人達に協力する姿勢を持ってもらう事が、もう一つの柱です。ですから、授業料も、100%ではなく、75%しか支払いません。残りは、もちろん親、それが出来ない場合は、地域の人達の協力で、支払う努力をして欲しいということで、ずっとこの方針を通してきました。それが、相手先からもっと積極的なオファーで、「えーっ!」という感じでした。


二人目の女の子の小学校へTEL。更に驚いたことに、全く同じ展開になりました。


次は、酔っ払いのお父さんを持つ女の子の小学校へ電話。


先に「後談あり」と書きましたが、この家族を想像してみますに、お父さんが大酒飲みで家族を返り見ないにもかかわらず、ましてそんな家族では女の子の家庭での負担は大きくなりますから、そんな中でも学校を頑張っているのは、本当にいい子なんだろうな、と目に浮かびました。ですから、先生方も、校長先生も、今まで何かと支援してきたのだと思われます。


この2人の女の子が小学校だけで、高校に行けない。この子達も将来はお母さんになる訳ですから、その時新しい家族のお母さんが高校を出ているか、いないかは、子供達にとって大きな違いだろうな、と考えたのです。そこでTELの会話はこうなりました。


「リリアンさんは、残念ながら、やはりお父さんが大酒飲みということでは、選ばれませんでした」 相手「えーっ」絶句。何故だか理解できないよう。当方続けて、「しかし、会としては無理ですが、丸川が個人的に18000円ほどを援助しますので、リリアンさんを寄宿学校ではない、少し安い高校に入れてやってもらえないでしょうか?」(注:先にランクの違う2つの県立高校について書きましたが、他に地域が運営するハランベー高校という寄宿学校ではない、通いの高校があります。授業料も年間、2万円弱で済みます)


ところが、その後のやり取りが、先のと同じようになります。「それだけ出してもらえれば、後は我々が何とかするから、是非入学許可になった、県立高校に入れてやってもらいたい」

お父さんが大酒飲みの二人目、ポーリーンさんの小学校の校長先生との話も全く同じようになりました。


次は、孤児のコリンズ君の小学校。これも同じ展開になりました。いろいろな理由で(文化的のものを含めて)留年は難しい。今年高校に入学出来なければ、もう2度とチャンスはないだろう。という訳で、年間18000円の同じオファーをしました。大丈夫、残りは我々が責任をもって、入学許可になった県立高校にいれます、とのことでした。


もうここまでで、私自身すっかり嬉しくなってしまいました。

今までのニャフルルでの経験でも、何回も地元の人達を巻き込もうとしたのですが、うまくいきませんでした。ある時など、有名私立小学校を経営するお金持ちから、姪が学費を払えず困っているのだが、助けてやってくれないかという、ふざけたお願いをされたこともあります。多分、知らないお金持ち国の、知らないお金持ちが寄付したお金だから、そこに自腹を切って付け足す必要はない、という感覚なんでしょうか。

そこで、何故今回は可能だったのかを、考えてみました。


それはやはり、誰が、どんなお金で援助してくれているかが、分かっているからでしょう。20年来紅茶を買ってくれている丸川が、紅茶を買うだけではなく、小学校に寄付なども行ってきましたから、私はこの地域ではけっこう有名人です。その丸川が、買ってくれた紅茶を日本で販売し、その利益の一部で援助してくれている、というのが明瞭、明白です。そして、そんな事をしてくれるティー・バイヤーは、ケニアじゅうでも多分他に一人もいない、と続きます。

ですから、初めから、この奨学金制度に親近感と連帯感があったのでしょう。

 

私もここまでは期待していませんでした。

その意味は、紅茶の利益の一部が奨学金として還元されただけではなく、ちょっと大げさにいえば、地域を変える原動力にもなっている、自助努力をする地域に変わる手助けをしている、という事になります。

 

皆様が私の紅茶を買って、飲んで下さっているという事が、かなり遠いところまで連れて来てくれたんだなあ、と感慨無量です。

大分興奮してしまいました。

 

残った一人ですが、これは今までの話の進行中から計画を立てていました。実は、成績が一番良かった男の子を一人取っておいたのです。そしてチェアマンのMr.ムレディに電話。

 

「奨学生を一人、工場で取ってもらえないか?」「え??」(もちろん、こんなお願いをしたことは今まで一度もありません)続けて「もし工場に一人取ってもらえれば、うちは12人の面倒をみるから、全員が高校にいける」

「12人?!! OK 皆を説得する」

という訳で、推薦されてきた15人全員が、高校に進学できることになりました。メデタシ、メデタシ。

 

とはいっても、予定の予算を10万円くらい上回ってしまいました。もっとも、予算を上回ってしまうのは、毎年の事なのですが。誰かを落とさねばならないというのは、やはり辛いです。

ただ、今回の選考で新しい傾向がでてきましたので、これは継続せねばなりません。工場に茶葉を供給するほぼ全ての地域から、奨学生を取るというのは、我々、日本の皆さん(消費者)、ケニアの生産者(Githongo地区の人達)の関係を一層強くする、という意味でも大切です。

 

支出増は、私も飲むビールの本数を減らして頑張りますので、皆様も寄付の方、よろしくお願い申し上げます。

 

今回は超大作になってしまいました。

 

 

ご支援・ご協力をお願いいたします。

 

郵便振替口座 00110-5-450063

日本ケニア交友会寄付金・奨学金係

または、ゆうちょ銀行 店名019

当座0450063

 

◇2015年選考された学生の名前と学校名


① リリアン・K・ブルゴさん (Katheri小学校→Katheri高校)

② ポーリーン・キニャさん (Kathiranga小学校→Makuri高校)

③ モリーン・N・ギトンガさん (Muthangene小学校→Kirigara高校)

④ ドリス・キエンデさん (Muruugi小学校→Ruiri高校)

⑤ アン・ンカザさん (Kioru小学校→St. Mary-Igoji高校)

⑥ ルース・N・キシアンガニさん (Kinjo小学校→Kinjo高校)

⑦ メアリー・ンティニャリさん (Muri小学校→Chogoria高校)

⑧ ウィンフレッド・ンキロテさん (Kithirune小学校→Kirigara高校)

⑨ ウィルフレッド・コオメ君 (Nthimbiri小学校→Ikuu高校)

⑩ ロニー・M・キルキ君 (Mpuri小学校→Abothuguchi高校)

⑪ ニクソン・ムレティ君 (Kathita小学校→Keeru高校)

⑫ エリック・キマジ君 (Kianthumbi小学校→Abothuguchi高校)

⑬ コリンス・ムゲンディ君 (Kaguma小学校→Mikumbune高校)