9月中には書かねばならなかったのですが、いつもの事ながら2ヶ月も遅れてしまいました。
まず、4月の手紙に、「11月頃には値上げをすることになると思います」とお伝えしましたが、これは延期いたしました。もちろん急激な円安が原因の値上げだったのですが、延期できた理由の1つは、13年間働いてくれたDavid君(33歳)が退職したせいで、人件費が節約出来るようになったことです。
David君は私の高校奨学生の初期の一人で、残念ながら大学には入学出来ませんでしたが、私のオフィスに呼び寄せて働いてもらっていました。性格もよく、頑張り屋なので、私のオフィスで働きながら、夜学にかよい、9年かけて大学の商学部を優等で卒業、更に公認会計士の資格も取ってしまいました。
私のオフィスのマネージャー、ムンガイ氏(42歳)は、これも夜学がよいで、経営学修士と公認会計士の資格を持っていますので、2人の高学歴スタッフがいたことになります。
うちのオフィスはもっと勉強したくなる、もっと勉強しないとダメだと思うようになる、雰囲気を持っている、私が雰囲気を作っている(?)ようです。
まあその分、給料も上げてやらねばなりませんので、私のオフィスのような小さいビジネスでは、資金的にかなり苦しくなっていました。
それを察したのか、私のオフィスでは将来の昇給が望めないと正しく判断したのか、新しい仕事口(多分銀行)を見つけてきました。という訳で、円満退社となりました。ちなみに、私の奨学生のかなりの人数が、銀行に就職しています。
日本円が1ドル105円くらいまでなら、その他のヤリクリを含めて、これで何とか値上げを回避できたのですが、ここのところ117円まで円安が進んでしまっていますので、やはり近い将来値上げをお願いせねばならないようです。
値上げの時期につきましては改めて連絡させていただきますが、出来るだけ先に延ばせるよう努力いたします。
さて私事にわたりますが、娘が去年小学校を卒業し(8年)、今年の1月からイギリス系のインターナショナル スクールに入学しています。実はケニアの教育システムは強力な詰め込み主義な上、その教える事、教え方に、全く一貫性がなく、私もかなり頭にきていました。
娘の出た小学校は、カトリック教会のミッションが運営する私立小学校で、カトリックの家内はそのミッションのシスター達(インドネシア人)と非常に親しく、こちらでは非常に良い学校でしたが、それでも、朝6時登校、夕方5時半下校。さらに宿題に2時間半と、昼食の1時間を除いても、1日の勉強への拘束時間が13時間にもなっていました。
朝4時半起床、5時半に私が車で学校まで送って行き、夕方は母親が迎えに行って6時に帰宅。テレビを見ながら夕食をすませて、7時半頃から宿題。寝るのはやはり10時半過ぎになってしまいます。睡眠時間は6時間弱になってしまいます。13-14歳の女の子には、やはりかわいそうでした。
私は受験校の出身ですが、高校3年の時でも、8時半登校、3時半下校。宿題(もっぱら数学)5時間。昼食の1時間を除いて、拘束時間は11時間でした。それより13-14歳で2時間も長い。何を教えているのだろう?
また、こちらの高校はほぼ全てが全寮制で、校則も生活ももっと厳しくなります。男子高校では不満から暴動騒ぎがしょっちゅう起こっています。まあ半分監獄か、昔の軍隊生活みたいなものでしょう。学校による体罰も、女の子にたいしても、当たり前のこととして存在します。
ケニアの人は仕様がないので息子、娘を行かせていますが、ドロップアウトもかなりの数にのぼります。親バカな私としては、学費もなんとかなりそうだったので、インターナショナル スクールに入れることにしました。通学も可能な、寄宿学校(ボーディングスクール)ですが、ウィークリー ボーダーなので、週末には帰って来れます。娘も喜んでいますが、我々親も安心です。やはり、1学期3か月まるまる子供に会えないというのは、心配です。まだ15歳ですから。
日課は6時起床、朝食の後、8時10分に授業開始。昼食をはさんで、3時半に授業終了。宿題等、2時間程の自由学習がありますが、クラブ活動も出来ますし、夕食の後8時にはドミトリーに帰り、10時まで自由時間。10時消灯。睡眠時間、8時間。
ドミトリーにはラップトップ、i-Pad、スマートフォンの持込が自由ですので(スナック菓子も)、また衛星放送の入るテレビもありますし、PCに映画をダウンロードしたりして、学校生活を楽しんでいるようです。
英語の方ですが、ケニアは小学校の1年から基本的に英語教育です。それでもやはりインターナショナル スクールで通用するか、大丈夫かどうか、少し心配していたのですが、授業も生活も全くOK。ほっとしました。小さい頃からディズニーや、シュレックを作ったドリームワークスのDVDを見せてきた甲斐があったのかもしれません。
それに家内のほうも先生や職員、イギリス人のおばちゃん校長先生(いい意味で大変なやり手のようです)と英語でちゃんとコミュニケーションが出来ています。ヒヤリングは私よりずっと良いようです。学校の方針が、生徒と親と学校が協力し合って、というものなので、呼び出しが結構あるのですが、家内が喜んで行ってくれるので、私は助かっています。ケニア人の英語能力に関しては、大いに評価しなければなりません。
私の英語力はというと、全くnativeではありません。日本語なまりの英語をものすごい早口で喋ります。仕事上、生活上では全く困りません。CNN 、BBCのニュースは聞き取れますが、映画はダメなので、DVDでは英語の字幕を出してみています。これはすごく良い英語練習になりますので、皆さんもやってみてください。
英語についてカッコいいことを書いてしまいましたが、実は高校の時一番成績が悪かった科目が、英語でした。世界史はトップクラス、物理と化学もかなり良く、数学も平均以上。国語、つまり漢文と古文が平均よりかなり下で、英語が最低でした。もう少し英語の成績が良ければ、小さい頃から科学者になりたかったので、といってそれ程才能があるわけでもないので、今頃はどこかの大学の研究室でカビがはえていたかもしれません。
英語が少し出来るようになったのは、80年代後半に紅茶のビジネスを始めてからです。一人ですから、これはもう喋らねばどうにもなりません。それと89年からのソ連邦の崩壊していくのを、CNNのニュースでくいいるように、息をのんで見たことでしょう。あの巨大、強力なソ連邦があんなに簡単に、流血もほとんどなく、あっけなく崩壊してしまうなんて。
今は過去の人になってしまった感がありますが、平和裏に歴史を変革した人間として、私はゴルバチョフ氏のファンです。
小さい頃から科学者になりたかった、と書きましたが、小学生の頃は湯川秀樹さんの影響、それと先年亡くなった伯母(母の姉さん)が当時の文理大学(いまの筑波大学)で朝永教授に物理学を学んだということもあり,(その後伯母は、戦争のせいもあり、神戸に帰ってきて、高校の数学の先生になりました。すごい秀才だったそうです)物理学者になりたかったのですが、中学、高校と進むうちに、自分に才能がないのを身にしみて感じてしまいました。そして、高校の2年のころから、人類学に興味を持ち始めました。
キッカケは多分、自然人類学者の伊谷純一郎さんが書いた「ゴリラとピグミーの森」(岩波新書)を読んだことだと思います。この本は伊谷さんがゴリラの群れを研究する為に、ナイロビに降り立ったところから始まります。1960年直前のことです。後に大学で伊谷さんの講義も取りましたし、ナイロビでお目にかかり、お酒飲ませていただいたりもしました。
伊谷先生は、日本ザルの群れの研究から始まって、ゴリラ、チンパンジーの群れについて研究をした、世界的なサル学者ですが、東アフリカは、実は人類が発生した土地なのです。
約170-180万年前に最も原始的な人類が発生したのもケニア、エティオピアですし、その後次々と新しい種を発生させ、約100万年前にホモ・エレクトス(直立猿人)を発生させたのもこの同じ土地です。このホモエレクトスは、その後アフリカ大陸からアジア、ヨーロッパ全域に広がりました。高校の教科書に出てきたインドネシアのピテカントロプス エレクトスや、中国で出土したシナントロプス ペキネンシスはその代表です。その子孫はどうやらつい2-3万年まで生存していたようです。一時はヨーロッパ全域に広がっており、2万年前にジブラルタル近くの洞窟で死滅したネアンデルタール人も、ヨーロッパに広がったホモエレクトスの子孫だったとおもわれます。
更に、我々が属するホモサピエンスも、約20万年前にこの同じ土地で発生しました。このホモサピエンスが世界中に広がり、科学なぞというものを発明し、今や地球上で我が者顔にのさばっている訳です。
こう考えると、ケニア人とエティオピア人の足が速いのには、遺伝的な理由がありそうな気もします。(???)
20万年前に発生したホモサピエンスは、6-7万年前まではアフリカだけに居住していたのですが、6-7万年前にその一部、多分5-600人が紅海を渡って、初めてアジアにたどり着いたと考えられています。そこから日本への長い旅が始まったと考えると、実際その子孫の一部が数万年の時間をかけて日本にたどりついたのですが、壮大な気分になります。時々、酔っ払って誇大妄想的な気分になったとき、俺は故郷に帰ってきたんだぞ、と思ったりもします。
ちなみに、遺伝的にいって、人間とチンパンジーの差は、ゴリラとチンパンジーの差より小さいのをご存知でしたか?これはもちろん、人間がチンパンジーから進化したという訳ではなく、人間とチンパンジーの共通祖先が、ゴリラとチンパンジーの共通祖先よりずっと後に生存した、ということです。といっても、どうやらそれは、700-800万年前の話のようですが。
という訳で、人類学的興味を、私が何故ケニアに来てしまったのか、という説明に、仮説として使う今日この頃です。実際のところ、私にも本当のところは、分かっていません。ともかく、ケニアに来て良かった、というのが実感です。家内と紅茶に大感謝です。
相変わらずの、支離滅裂な手紙になってしまいましたが、「ケニア山の紅茶」よろしくお願い申し上げます。
新しい奨学生の選考も、もうすぐになりました。
ナイロビにて、丸川正人
P.S. ケニアの教育制度の詰め込み主義について少し書きましたが、もう少し説明が必要かなと感じ、続編を書きはじめています。信じがたいことには、1月中には次の手紙を発行できそうです。
丸川さんのメッセージにもありましたが、来年度の奨学生の選考が始まります。そして、このプログラムの最初の年に採用された5名は、すでに国の統一テストを終えて、結果を待っています。2月半ばに結果発表予定ですので、改めてお知らせいたします。
2014年3月から11月までにみなさまからの寄付の合計は、455,654円(※)。ご協力くださいまして、まことにありがとうございました。このプロジェクトを継続していくために、引き続きご支援・ご協力のほど、よろしくお願いいたします。
(※)アフリカン・スクエアさんからの寄付も含まれています
【郵便振替口座にて受け付けております】
寄付金専用口座番号 00110-5-450063
(または、ゆうちょ銀行 店名019 当座 0450063)
日本ケニア交友会寄付金・奨学金係
♪ティー・マサラ(スパイス粉)ちょこっとプレゼント♪
12月中に紅茶を4袋以上お買い上げの【先着30名様】に、ケニアからのおみやげ・ちょっとスパイシーなティー・マサラ(スパイスチャイ用のミックス・スパイス粉)5gをプレゼントいたします。紅茶発送後、東京事務所からお送りする郵便振替用紙と一緒に送付させていただきます。※なくなり次第終了とさせていただきます。
◇編集室より
今年も一年「ケニア山の紅茶」をご愛飲くださり、ありがとうございました。みなさまに支えられてここまで来ることができました。
これからもケニア・メルーの産地と、みなさまの懸け橋となるよう、がんばります。どうぞよろしくお願いいたします。(ひさこ&あきこ)
年末年始は、12月28日(日)から1月4日(日)まで、お休みとさせていただきます。
Merry Christmas & Happy New Year!!