こんにちは、ひさこです。今回は、ケニア人の知り合いの多さについて。
ナイロビ中心地の大通りをケニア人と歩いていると、必ずといっていいほど知り合いに出くわします。あいさつや近況報告をひととおり済ませて歩き出すと、また別の知り合いが…。なかなか進めないこともあります。このナイロビ中心地のサイズがそう大きくないとはいえ、たとえば自分が都内を移動しているときに、何人の知り合いに出会えるでしょうか。
以前の「ケニアからの手紙」(2013年12月)で「ケニア人は少なくとも5,000人を知っている」と丸川さんが書きましたが、この「知り合いを知っている」レベルは、顔と名前だけでなく、出身地、出身校、家族構成まで覚えているような、ハイレベルなものです。コンピューターのように、人の記憶力に容量があるとしたら、ケニアの人は、知り合いに関する情報が占める割合が、かなり大きいのではないかと思います。
戦前の日本でも兄弟姉妹が7~8人、ご近所さんとの付き合いも密だったように、ケニアでも大家族で、子どもが8人なんていうのは当たり前。自分の兄弟姉妹、両親の兄弟姉妹(=おじさん・おばさん)とその家族、おじいちゃん・おばあちゃんとその兄弟姉妹・・・と、芋づる式に親戚が広がっていきます。その分、冠婚葬祭が増えますから、お金も必要になってきます。困ったときは、この大きな家族の輪と知人のつながりで、「Harambeeハランベー(*)」をして、助け合うのがこちらの社会です(*スワヒリ語の「みんなで助け合おう」の意味。相互扶助。特に金銭での支援で、日本でいうカンパのようなもの)。
ケニア人の知り合いの多さは、携帯やFacebookなどの連絡先や「友達」が5,000人いるのとは違います。ふだんは眠っている頭の中の「知り合い」という引き出しが、出会うことで開いて情報が飛び出てくる、といった感じでしょうか。ついでに言うと、新しく知り合った人と話をしていくと、共通の知り合いがいた、なんてこともよくあります。
このような人間関係の中で育っていくと、自然と人を覚えていくのが得意になるのかもしれません。そして日本(特に大きな都市)での人間関係は、ケニアとは逆で、ずいぶん希薄なのだという現実を思い知らされます。
「得意」で思い出しましたが、ケニア人の得意なことの中に、言葉を覚える力や言葉を操る能力も挙げられます。これについては、改めて書いてみたいと思います。