ケニアからの手紙Vol.27 2017年4月

◇ナイロビ・丸川さんからのメッセージ

 

長らくご無沙汰しております。特に前回の9月号ではちょっと調子が悪く、皆さまに随分ご心配をお掛けしてしまったようです。

 

実は、あの時は書かなかったのですが、8月8日にCAR JACKに遭ってしまっていたのです。私は用心深いので、スリは別として、襲われたのは、多分1978年以来。その時はナイロビではなくて、夕方一人でモンバサの下町をウロウロ歩いていてやられました。まだ27才、若かったですからね。

 

今回は、真っ昼間の1時。交通量の多いイースタンバイパスを走っていて、突然警察を装った車に、車を脇に止めるよう指示、命令されました。車を止めると、盗難車だから警察に連行すると、彼らの車にドライバー共々(わたしは運転しません)押し込まれたわけです。

 

結果的には、私の車はそのまま置いて行きましたので、CAR JACK というより、短期の誘拐だったわけですよね。

 

ちょうど銀行からの帰りだったので(普段、私は銀行に行かないのですが、たまたま銀行に行かせるスタッフが、通っている夜間大学の試験で休みだったので、いやいや私が行きました)、かなりの大金、といっても30万円程を持っていて、まあその予想以上の収穫に、強盗が嬉しかったのか、危害は加えられませんでした。

 

車に押し込められた頃から、これはちょっと変だな、と思っていたのですが、結局30分ほど殆ど目隠し状態で連れまわされた後、人通りの全くない裏通りで放り出されました。

自分が何処にいるのかも分からなくて、通りがかりの人に聞いたりで、ウロウロしながら、自分の車に辿りつきましたが、私の車は襲われた所にそのまま駐車してありました。車の鍵も、携帯電話も、これはバッテリー抜いて返してくれました。

行儀の良い強盗ですねえ。

 

歩いたのは2kmあったかどうかで、私の家からも直線で3kmも離れていない所でした。

この近辺は新興の住宅街で、そこらあたりに不規則に家がどんどん建ち始めており、ちょっと本道(といってもガタガタの道ですが)を外れて脇道に入ると、何処がどうなんだか、サッパリ分からなくなる地域です。

 

この話しには続きがあります。もちろんすぐ警察にレポートしましたが、次の日には、何せ外人のビジネスマンなど住んでいない地域ですので、犯罪捜査課のかなり偉い人が家まで来てくれたりして、雑談していますと、彼の警察専用のウォーキートーキー(※1)に連絡が入り、私が襲われたのと全く同じ場所で、強盗が警官に射殺された、というのです。その午後遅くになって、警察から電話があり、死体を確認に来て欲しいとのことでした。

 

顔などよく見ていなかったので(顔をジロジロみたらドツかれます)、顔の判別は出来なかったのですが、着ていたジャケット、偽物のウォーキートーキー、手錠(偽物?)、その他の彼らの所持していた物が一致しましたので、まず間違いなく彼らだったようです。

 

警察の方では、私のレポートがあった段階で、ほぼ目星がついていたようです。それにイースタンバイパスに付いているCCTV(監視カメラ)にも、わたしの車を追走する彼らが映っていたとの事でした。

一人は、私は見なかったのですが、ドライバーによると、顔面を撃ち抜かれていたようです。実際は、至近距離からの射殺だったのでしょう。

 

4人組だったのですが、こうして3人が射殺され、一人だけが走って逃げ延びたようです。

これは、英語でEXTRA JUDICIAL KILLING(超法規的処刑)で、今フィリピンで問題になっているのと、同じです。もちろん、これは完全に人権無視です。

 

と、問題のある結末だったのですが、後々付け狙われる可能性もあったので、とにかく我が家のすぐ傍の話だったので。ちょっとホッとしたことも確かです。

すぐに、我が家にCCTV(監視カメラ)を設置しました。

カメラ15台を家周りに設置、家の中のスクリーンで見る事ができますし、それをスマートフォーンに飛ばすこともできます。18万円でした。以外と安いでしょう。

 

犯罪捜査課のエライさんから、今後銀行からお金を引き出す時は、オレに言え。武装警官を2人付けてやる。と言われましたが、たかだか30万円で警官を二人付けていたら、ナイロビじゅうで何万人もの警官が必要になるので、何百万円引き出す時にはお願いする、と答えておきました。

 

もちろん、そんな事はしないですけれどね。

 

血なまぐさい話しを、けっこう長々と書いてしまいました。これだけ書けるということは、もう充分回復している、ということですかね。やはり2か月くらいは鬱陶しくて、書くどころか、思い出すのも嫌でしたから。

それにその後、ヒラリーがトランプに米大統領選挙で負けたのも、こたえました。

 

大分長くなったので、肝心の奨学金の話しを少し。

今年も奨学生の選考を行い、16名を選びました。年々人数が増えてきていますが、これは応募してきた全ての小学校から一人ずつ取ろう、との方針のせいです。

 

実のところ、資金的に学費を全額払うにはとても無理なので、上限を去年から一人当たり年25000ksh(約28000円)に定めています。

 

程度の高いPROVINCIAL HIGH SHOOL(※2)(嫌な言葉ですね)は、BOARDINGで年間55000kshくらいですので、とても足りませんが、その際には、他の援助に頼って学費の高い高校に入学させるか、それとも安いDAY SCHOOL (※3)に入学させるか、ということになります。貧しい子供の親に別の援助を探させるのは無理ですから、推薦した小学校の校長先生にその役割を期待しています。地域の人達に呼び掛けてハランベー(※4)を行い、お金を集める。もしそうなれば、地域の余裕のある人たちを教育に、結局は地域の発展に呼び込む、と最善の話しになります。私もそうなる事を期待しています。

 

もしそうならなくても、この奨学生の推薦は、我々の援助が無ければ、高校に行けない子に対して、ということになっていますので、それはそれで良しとしなければなりません。

 

推薦してきた全ての小学校から一人ずつ取る、という方針を決めた経緯、理由を、改めて少し説明します。

 

地域の19の小学校の校長先生には、もう何年も前から、一人だけ推薦して欲しいと頼んであります。最初の頃は10人以下の推薦でしたが、今年は16校、来年は多分18校か19校になるでしょう。

 

ここで例えば今年の場合、16人の中から7人だけ選ぶ場合を考えてみましょう。その選考は下記のようになるでしょう。

誰がどれだけ貧しいかは判断できませんから、校長先生の推薦書には皆極貧だと書いてありますので、成績順に上から7人を取るのが簡単です。

しかしそれでは、落とされた子が、選んだ子よりもずっと貧しい、ということが起こってしまいます。というより、貧しいほど良い成績を取るのが難しいですから、当然そうなります。

 

貧しい場合、特に女の子に負担がかかります。KCPE(※5)の成績は少し低いが孤児の子と、成績は高いが二親がそろっている子(推薦書には非常に貧しいと書かれていますが)を、どう比べればよいのでしょうか。また、取れなかった子が高校へ行けなかった場合を考えると、というより孤児の場合などほぼそうなりますが、この選考は本当に心が痛みます。

 

という訳で、3年ほど前から、推薦してきた小学校から全て取る、という方針にしたのです。

 

ところで、小学校から一人ずつ取っても、援助の上限を決めたので、資金的には大丈夫であるかのように書いてきましたが、実は全く足りていません。

私の紅茶は、その売り上げの一部を寄付に回すとお約束していますが、現在寄付はこの奨学金だけに絞っているのですが、それでも全く足りていません。予算内だけでやりますと、一年10人が限界です。

 

今年は、今までに寄付していただいたお金で、帳尻を合わせましたが(学費支払いの80%は、一学期の始まる1月と2月に行います)、来年はもう危ないという状況です。今年の選考の時にも、どうしようか、今年から人数を減らそうかと、頭を悩ませたのですが、出来るところまで続けようと、継続することにしました。

 

というわけで、最後に本音を書きますが、寄付の方よろしくお願い申しあげます。

奨学生を全ての小学校から取るというのは、インパクトが非常に大きく、12月から1月にかけては、うちのオフィスに小学校の校長先生からの電話が掛かりっぱなしです。うちのマネージャーのMUNGAIなどは、彼らとすっかりお友達になっています。

 

公立の小学校というのは、何せ田舎ですので、その地域の中心です。我々の紅茶を通した「運動」が、バイングセンター(※6)だけでなく、小学校を通して、GITHONGO紅茶工場に茶葉を供給している約5500戸の農家、人口約7万人の地域と日本の皆さんとを直接結びつけている、と言えると思います。我々の紅茶購入は、GITHONGO TEA FACTORYの生産の3%にも達しませんが、一番インパクトの強いバイヤーです。他に誰もこんなことはしていませんから。全ての紅茶生産農家、地域住民の大多数が我々のことを知っています。

かなり大きなことを書きましたが、少しずつで結構ですので、寄付お願い申しあげます。

また、紅茶からの利益の一部を還元するというのが本筋ですので、紅茶の購入の方もよろしくお願いいたします。

 

最後に天候について少し。

去年は小さなエルニーニョで、8月頃までけっこう雨が降ったのですが、その後雨がありません。エルニーニョの大雨の後に、ラニーニャの旱魃が来るのは、1998年にも経験しました。11月の小雨期も雨が殆どふりませんでしたし、3月半ばから始まる筈の大雨期もなかなか雨が降らず、主食のトウモロコシやポテトの値段が急騰しているようです。

4月7-8日頃に、2日ほど夜中にかなりの雨が降ったので、やっと来たかと安心したのですが、また止まってしまいました。

話しでは、このままでは、ソマリアに大旱魃が起こるそうです。ケニア北部の乾燥地帯も危ないです。早く雨がきて欲しいものです。

 

   ナイロビにて、4月12日 丸川正人

 

読んでいる途中で(カッコ)の説明書きが多いと、読みづらいと思いましたので、説明の必要そうな箇所は、※をふって、こちらに説明を書きました(ひさこ)。

 

※1 トランシーバー/無線通信機

※2 日本でいう県立高校にあたる高校。その中でも、程度も授業料も高いところもあれば、少々成績が悪くても入れて、授業料の安いところがあります。

※3 地域みんなでお金を出し合って建てた学校。日通いで、授業料は1年間で約15,000シル。先生のお給料は、Provincialも同じで、政府が払っています。

※4 ケニアで一般的な相互扶助の精神で、困難に直面した時の、資金的な支援・カンパ。

※5 全国統一初等教育資格試験

 

※6 紅茶農家が茶畑で摘んだ生の葉を搬入する場所。生の葉を計量したあと、製茶工場に運ばれる。地域内に50か所近くあり、生産者への情報の伝達場所にもなっています。

 

◇奨学金プログラム ご報告

2011年から開始した紅茶産地での奨学金プログラムは、みなさまのご支援により、6年を迎えることができました。昨年2016年11月に実施されたKCSE(全国統一卒業資格試験)には、2013年に選ばれた6名が受験し、1名を除く以下の5名が、高校を卒業しました(ポーリーン・ムドニさんは、4年生を再履行中)。

以下の16名は、この1月から奨学金プログラムによって、高校に通っています。

(卒業した小学校名→通っている高校名)。

 

1.ヴァイオレット・ムェンダさん

 KATHITA小学校 → Nkuene Girls高校

2.イヴォン・カニリ・ギトンガさん

 KIAMIRIRU小学校 → Gakuuni Girls高校

3.ブレンダ・カリミ・マイナさん

 KITHIRUNE小学校 → Kiragara Girls高校

4.デニス・コオメ・ギトゥマ君

 MUTHANGENE小学校 → Muthangene高校

5.フェリックス・ムティソ君

 KIJIJONE小学校 → Kaaga Boys高校

6.ケルヴィン・ムランギリ君

 NTHIMBIRI小学校 → Muthambi Boys高校

7.ティファニー・カジュジュさん

 MURUUGI小学校 → Maua Girls高校

8.ジョイ・ガトゥィリさん

 KIORU小学校 → Kaaga Girls高校

9.スカラスティカ・キニャさん

 KAUGU小学校  → Kithirune Girls高校

10.エドウィン・ムリウンギ君

 KIANTHUMBI小学校 → Burieruri Boys高校

11.ジョイ・ンカザさん

 KAGUMA小学校 → Gikurune Girls高校

12.デイヴィス・ムリイラ君

 MURI小学校  → Miathene Boys高校

13.マーキアン・ムトゥマ・ブンディ君

 ST. THERESA小学校 → Miathene Boys高校

14.ケネス・ガトブ君

 KATHIRANGA小学校 → Kathiranga高校

15.ブライアン・キリミ君

 KINJO小学校 → Katheri Boys高校

16.トニー・ブラドン・ムリウキ君

 MPURI小学校 → Chugu Boys高校

 

新入生16名とこれまでの奨学生を合わせて、2017年1月現在、51名が、このプログラムの恩恵を受け、高校で勉学に励んでおります。また夏には製茶工場でのセミナーも予定しております。引き続き、ご支援のほど、どうぞよろしくお願いいたします。

 

郵便振替口座 00110-5-450063

日本ケニア交友会寄付金・奨学金係

または、ゆうちょ銀行 店名 ゼロイチキュウ

 当座0450063

 

左がお嬢さん、右がジャネットさん
左がお嬢さん、右がジャネットさん

◇紅茶農家さん 訪問しました byひさこ

この2月後半、ケニアの紅茶産地に行ってまいりました。いつものように製茶工場のスタッフとともに工場内を見学、紅茶農家さんと茶葉集荷場にも連れて行ってもらいました。

今回訪問したのは、ジャネット・ムウォリアさん。茶畑は少し傾斜のあるところにあり、茶樹は約2000本植えられていうそうです。暑くて乾燥しているこの時期は、山の伏流水を利用したスプリンクラーも稼働していました。

 

茶畑や家庭菜園など、ひととおり見せていただいたあと、「せっかく来てくれたのだから、家に寄って行って」と、おうちに招かれ、お庭で採れた濃厚な味のバナナをいただきながら、少しお話をしました。

 

ジャネットさんは、2年前、茶葉集荷場で月に2回行われる勉強会に参加したそうで、おうちの壁には「修了証」が飾られていました。これは、紅茶栽培を一からおさらいし、環境保全についてなども含め、1年かけて学ぶ勉強会。学んだことをさらに近所の農家さんに伝え、人と環境によい農業を推進しようというもの(気候変動についても勉強したそうです!)。

 

おとなになってもこのような学習の機会があるというのは、うれしいことですね。そして、ジャネットさんのように、農村地域でも女性がこういった勉強会に参加できるのは、とても意味のあることだと感じました。             

東京にて ひさこ