ケニアからの手紙
2012年9月27日発行 Vol.18 秋号

 

ナイロビ事務所 引っ越しました

この8月末、10年いたオフィス事務所を引越ししました。この10年間いたのは、ナイロビのキリマニ地区。高級住宅街です。都心から事務所を移した頃はそれほどでもなかったのですが、ここ数年は古い家を取り潰して、マンションやオフィスビルが建つようになっていました。うちのオフィスが入っていた建物のオーナーも、土地を建物ごと売り渡すことにしたらしく、8月一杯で明け渡すよう通告をうけていました。
それまでにも、キリマニ地区は家賃が高騰していたこともあり、他の場所に安い事務所を探していたのですが、適当なところが見つからず、結局私が住んでいるナイロビ郊外約30キロの新興住宅地ルアイに、都落ちすることになりました。
ルアイはまだ田舎ですから、オフィスビルなどはありません。と言う訳で、私が所有する土地に、オフィスを建ててしまうことにしました。
以前に私の家を建ててくれた、知り合いの大工の頭領に頼み、1カ月の突貫工事で仕上げてもらいました。水、電気を完備し、発電機バックアップつき、木々に囲まれた環境抜群のオフィスになりました。

 

水を完備しているといっても、ナイロビ市の水道はこの4年らい一度も来たことがありませんので、100m以上の深さを持つ井戸を掘った近所の家から、ピックアップに200L入るドラム缶を何本か積みこんで、買ってきています。(ナイロビでは、水を売るのがいい商売になります)電気のほうも、停電はあたりまえですし、長いときには3日間止まっていますので、コンピューターやコピーマシーンを使うオフィスには、ジェネレーターは絶対に必需品です。といっても、近頃大発展をし、10万人の人口を持つと思われる大ルアイ地区ですが、車のほうは1万台近くはあると思われるのですが、ジェネレーターを持つ個人は10人はいないでしょう。ちなみに、この地区の冷蔵庫の所有台数も、車の台数の何分の一だと思われます。 

 

このルアイ地区に引越ししてきたのは、1994年の2月。計算すると18年と6ヶ月、30キロ以上離れた都心へ通い続けたことになります。当時は私の家の近くまで、インパラやシマウマ等の野生動物が出没していました。そんな田舎だったので、2年ほど前に中国によってバイパス道路が完成するまでは、ルアイ近くの15キロ程はすごい悪路でした。またこの5年程前からは急に車が増え、都心近くではいつも大渋滞を起こしています。片道30キロを1時間半はあたりまえ、ひどいときには3時間もかかりました。

 

車の事を書きましたので、もう少し続けます。
一語で言って、ケニアの人は日本の車と大恋愛をおこしているようです。元イギリス圏なので、日本と同じ右ハンドルということもあり、日本の中古車が毎月6000台前後は輸入されています。その大半はナイロビに落ち着くようですが、ナイロビで見かける車の90%以上は日本車です。という私も、中古で買ったトヨタのWISH とNOAHを所有しています。日本で12~13万キロを走っているようですが、ノアは90万円、WISHは80万円でした。私が言うのもおかしいのですが、日本の車はよくできていて、私の経験では、特に悪いのにあたらない限り、30万キロまでは楽に走ります。

 
車販売の経験則によりますと、車の値段が手取り月収の10ヶ月分になると急激に売れ出すそうです。ということは、ナイロビで月収手取り8~9万円を取っていれば、こちらの人もこのクラスの車が買えるということです。どうもそのくらいの収入のある人は、ナイロビにはかなり存在するようです。新興中産階級が創出されてきているという事でしょうか。

 

更に上記のようなNOAH やWISHクラスの車も、ケニアで10万キロ走った後売りに出されますと、30万円になってしまいますから、月収3万円の人も車を持てることになります。350万人の人口を持つナイロビでは、商用車もふくめてですが、推計で50万台の車が走り回っていることになるようです。ケニアの人の車への愛着はものすごく、私はちょっと誇張してよく冗談で言うのですが、自分の家より大きな車を持っている人が随分たくさんいます。日本人の感覚では、家に対する車への支出{投資}比率は10分の1以下だと思うのですが、こちらでは2分の1近くではないかと思えます。こう書いてきて、ナイロビと田舎との貧困格差を感じます。ケニアの富の90%がナイロビに集中しているのかもしれません。

 

このルアイ地区でも、ナイロビ都心に職を持つのは10%以下、50%以上の住人は田舎から出てきた建設労働者だと思われます。その人たちの日当は、労働者は1日400円、職人が800円。でも、田舎での農作業の賃仕事は、1日150円から200円が相場で、それも仕事があればいいほうです。 
    
もう少し車の話にもどして、こうした輸入中古車のせいではないかと思うのですが、ケニア在住の日本人はたった600人ほどしか居ないのにもかかわらず、ケニア人の親日度は非常に高く、イギリスBBCの調査では、日本に好感をいだく人の比率の高さは、フィリピン、インドネシア、ブラジルについで、4位にランクされていました。私達もそのあたりの居心地の良さは、いつも感じています。
もっとも、ひとつ付け加えておきますと、私がケニアで最も嫌いなものは、ケニア人の運転マナーです。

 

交友会の今後について
お知らせになりますが、この11月20日頃から富塚を日本に返し、常駐させることにしました。12月からの数ヶ月は須磨の名谷で勤務させた上、その後、須磨での業務、オーダー受けから発送、営業、お客様への対応等一切を、須磨から富塚へ移管することにしています。私はもう62歳になりましたし、当たり前のことですが、みんなが年を取ってきていますので、若返りの一環とお考えください。
今までは、私がこちらに居っぱなしな為、何かとご不便をおかけしたと思いますが、今後は何かと富塚がやってくれると思います。彼女がナイロビの私の所で働きだしてもう6年になりますが、ケニアとケニア紅茶について知るには、やはりそれくらいの年月は必要だったと思います。ケニアのほうにはもちろん私がおりますし、私が育てた若い世代も育ってくれています。富塚も年に何回かは帰ってくることになっています。今回ルアイに引越ししたのも、世代交代との関係からでした。通勤に負担がかかると、辛い歳になりましたので。

 

移管につきましては、また詳しく連絡させていただきますが、今後とも、富塚ともども、よろしくお願い申しあげます

Githongoをたずねて
この8月久しぶりにGithongo工場へ行ってきました。富塚にはしばしば訪ねさせているのですが。いつものように工場を見学した後、20アールぐらいの茶畑を所有する平均的な農家を訪ねました。そこで、すごく驚かされることが起こりました。というのも、そこの若い奥さんが、「そこまでは主人の畑ですが、ここからは私の茶畑です。」と言ったのです。ケニアでは、常識的にいって、女性が土地を相続することはありません。

 
夫婦の年齢の若さ、畑の茶の木の樹齢からいっても、明瞭に相続された畑でした。そこでいろいろやりとりがあった後分かったことは、土地は夫が父親から相続し、夫の所有ですが、茶畑の一部、茶の木の何百本分かが妻のものとして、Githongo Tea Factoryに登録されている、ということでした。これは画期的なことです。というのも、妻の茶畑からの茶葉の工場への供給は、夫のそれと区別され、その支払いは妻の口座へ行われるからです。つまり夫が、紅茶畑の一部から収穫される茶葉、つまりその収入を、妻のものとして妻に譲った、ということです。

 

工場と特にチェアマンのムレディ氏が強く奨励しているようですが、アフリカでは、もちろんケニアでも、女性の地位は非常に低いので、この紅茶の栽培は、女性の地位と権利を高める運動としても、評価できるのではないでしょうか!
メルー族はナイロビからかなり離れた田舎の部族ですが、ナイロビに近いケニア最大部族のキクユ族でも、こうした事は聞きません。更に、例えば日本の農家の作業、或いは日本の家計における主婦の役割とも、比べてみてはどうなんでしょうか?!

編集室より
前号でお知らせしましたロンドン・オリンピックで男子10,000mに出場したビダン・カロキ選手ですが、トップと2.5秒差の5位でゴール。初めての世界の晴れ舞台で、がんばってくれました。ご声援、ありがとうございました(ひさこ)。