ケニア山の紅茶を愛飲してくださり、
日本ケニア交友会の活動を支援してきてくださった皆様へのお知らせです。
ここで改めて、皆様には今までの交友会に対する支援に、深くお礼申し上げます。
先にもお知らせいたしましたように、来る2月21日発送分より、日本での紅茶の販売を富塚に移管することとなりました。事務所住所、郵便振替口座も変更になりますので、改めてお知らせいたします。皆様にご不便がかからないよう細心の注意をもって行いますので、ご理解のほどお願い申しあげます。
富塚を去年11月の終わりに帰国させ、その後の約3ヶ月は、須磨で移管の準備をさせてきましたが、いよいよ時期が来たというところでしょうか。
私が紅茶を始めたのが1980年代半ば、まだまだ青年だったのですが、もう62才になってしまいました。30年近くたつのですから当たり前の事ですが、手伝ってくれていた皆も歳をとりました。
この日があるのは分かっていましたし、若い人に引き継いでもらわないといけないのも分かっていましたので、以前ケニア大使館で働いていたこともある富塚を、研修にケニアに呼び寄せたのが2006年6月。6年半の長い研修になってしまいましたが、「ケニア山の紅茶」を説明する為には、ケニアとケニアの人たちを理解していなければなりませんから、このくらいの年月は必要だったと思っています。
私は以前ケニアと日本の間を年に8回往復したこともありますし、総往復回数は107回に及びます。しかし、2000年代に入るとだんだんと減り、特にこの5-6年は、年に1度行くか、行かないかになっていました。皆様にはいろいろご不便をおかけしたかと思いますが、お詫び申しあげます。
販売を富塚に移管するといっても、日本ケニア交友会の活動にはなんの変わりもありません。富塚もこれから日本を拠点に、ケニアとの間を年に何回か往復することになるでしょう。ケニア山の紅茶、ケニアでの活動、そしてケニアとケニア人について、もっときめ細やかな話を彼女から聞いてもらえるのではと考えております。
私はこちらに永住するつもりでおりますので、古い言葉で言うと骨をうずめるつもりでおりますので、育ってきた若いケニア人ともども、こちらでの活動をこれからも支えていきたいと思っています。今までにも、かなりの人数のケニア人の人生を変えたという自負心はあるのですが、もう少し頑張って、人生を、ケニアに来たことを、自分自身に納得できるようにしたいと思っています。そのつど、皆様への報告もおこなっていきたいと思っております。
今後とも、日本ケニア交友会への支援、富塚ともどもよろしくお願い申し上げます。
2013年1月30日
ナイロビにて
丸川正人